物理学で力の合成を表すとき、機械学習で特徴量の集まりを扱うとき、あるいは電磁気学でマクスウェル方程式を書くとき、ベクトルの表記は欠かせません。しかし、LaTeXでベクトルを表す方法は一つではなく、太字にする方法(\bm、\mathbf、\boldsymbol)、矢印を付ける方法(\vec)、ハット記号を付ける方法(\hat)など、複数の選択肢があります。
どの表記を選ぶかは分野や教科書の慣習によって異なるため、それぞれの特徴と使いどころを理解しておくことが大切です。
本記事の内容
- 太字によるベクトル表記(
\bm,\mathbf,\boldsymbol) - 矢印によるベクトル表記(
\vec,\overrightarrow) - 単位ベクトルの表記
- 列ベクトル・行ベクトルの書き方
- ベクトル演算(内積・外積・ノルム)の表記
前提知識
この記事を読む前に、以下の記事を読んでおくと理解が深まります。
- 行列をLaTeXで書く方法を徹底解説 — 行列環境の基本
- argminやargmaxをLatexで表現する — LaTeXの基本コマンド
太字によるベクトル表記
なぜ太字を使うのか
手書きの数式ではベクトルを表すのに矢印($\vec{a}$)を使うことが多いですが、印刷された教科書や論文ではベクトルを太字で表すのが主流です。太字を使う理由は主に2つあります。
- 可読性: 矢印は変数名が長くなると見づらくなりますが、太字なら長い変数名でも明瞭です
- 慣習: 国際的な学術論文では太字ベクトルが標準的です。ISO(国際標準化機構)の規格でもベクトルは太字のイタリック体と定められています
LaTeXで太字ベクトルを書くコマンドは主に3つあります。それぞれの特徴を見ていきましょう。
\bm:最も推奨されるコマンド
\bm コマンド(bold math)は、bm パッケージが提供するコマンドで、数式中のあらゆる文字を太字にできます。イタリック体のまま太字にしてくれるため、最も自然な見た目になります。
$$ \bm{x}, \quad \bm{v}, \quad \bm{F}, \quad \bm{\alpha}, \quad \bm{\nabla} $$
% プリアンブルに \usepackage{bm} が必要
$$
\bm{x}, \quad \bm{v}, \quad \bm{F}, \quad \bm{\alpha}, \quad \bm{\nabla}
$$
\bm の優れた点は、ラテン文字だけでなくギリシャ文字($\bm{\alpha}$, $\bm{\beta}$)や演算子記号($\bm{\nabla}$)にも適用できることです。
\mathbf:立体の太字
\mathbf は追加パッケージなしで使えるコマンドですが、ローマン体(立体)の太字になります。
$$ \mathbf{x}, \quad \mathbf{v}, \quad \mathbf{F} $$
$$
\mathbf{x}, \quad \mathbf{v}, \quad \mathbf{F}
$$
注意点として、\mathbf はギリシャ文字には効果がありません。\mathbf{\alpha} と書いても太字にはならず、通常の $\alpha$ のまま表示されます。
| 特性 | \bm |
\mathbf |
|---|---|---|
| 書体 | イタリック(斜体)太字 | ローマン(立体)太字 |
| ギリシャ文字 | 対応 | 非対応 |
| パッケージ | bm パッケージ必要 |
不要(標準) |
| 推奨度 | 高い | 分野による |
\boldsymbol:汎用的な太字
\boldsymbol は amsmath パッケージに含まれるコマンドで、\bm と似た動作をしますが、一部のフォントで太字にならない場合があります。
$$ \boldsymbol{x}, \quad \boldsymbol{\alpha}, \quad \boldsymbol{\Sigma} $$
$$
\boldsymbol{x}, \quad \boldsymbol{\alpha}, \quad \boldsymbol{\Sigma}
$$
\bm と \boldsymbol はほぼ同じ結果を返しますが、\bm のほうが内部処理が洗練されており、エッジケースでの互換性が高いです。特にこだわりがなければ \bm を使うのがよいでしょう。
どれを使うべきか?
結論として、以下のように使い分けることを推奨します。
- 通常のベクトル表記:
\bm{x}を使う(最も汎用的で見た目が良い) - 定数ベクトル・特定の行列: 分野の慣習に従い
\mathbf{e}など立体太字を使う場合もある - KaTeXで書く場合:
\bmが使えるので\bmを推奨
太字によるベクトル表記の3つのコマンドを比較しました。次に、もう一つの主要な表記法である矢印記号を見ていきましょう。
矢印によるベクトル表記
\vec:文字の上に矢印
手書きの感覚に最も近いのが \vec コマンドです。文字の上に小さな矢印を付けます。
$$ \vec{a}, \quad \vec{v}, \quad \vec{F} $$
$$
\vec{a}, \quad \vec{v}, \quad \vec{F}
$$
\vec は高校数学や初等物理の教科書でよく見る表記です。日本の教科書では特にこの表記が多用されます。
\overrightarrow:長い矢印
2文字以上の変数名に矢印を付ける場合、\vec だと矢印が短すぎて見づらくなります。そのような場合は \overrightarrow を使います。
$$ \overrightarrow{AB}, \quad \overrightarrow{OP} $$
$$
\overrightarrow{AB}, \quad \overrightarrow{OP}
$$
幾何学で「点Aから点Bへのベクトル」を表すときには \overrightarrow{AB} が自然な表記です。
\vec と \bm の比較
$$ \text{矢印: } \vec{a} + \vec{b} = \vec{c} \qquad \text{太字: } \bm{a} + \bm{b} = \bm{c} $$
矢印表記は直感的でわかりやすいですが、数式が複雑になると矢印が重なって見づらくなることがあります。たとえば、添字や上付き文字と組み合わせた場合に顕著です。
$$ \vec{a}_i \times \vec{b}_j \quad \text{vs} \quad \bm{a}_i \times \bm{b}_j $$
このように、添字付きのベクトル演算では太字のほうが視認性が高くなります。
矢印記号の使い方を理解したところで、次は物理学で頻出する単位ベクトルの書き方を見ていきましょう。
単位ベクトルの表記
ハット記号:\hat
大きさが1のベクトル(単位ベクトル)は、文字の上にハット記号(^)を付けて表します。
$$ \hat{e}_x, \quad \hat{e}_y, \quad \hat{e}_z $$
$$
\hat{e}_x, \quad \hat{e}_y, \quad \hat{e}_z
$$
物理学では、直交座標の単位ベクトルとして $\hat{x}$, $\hat{y}$, $\hat{z}$ や $\hat{e}_1$, $\hat{e}_2$, $\hat{e}_3$ のような表記を使います。
太字との組み合わせ
単位ベクトルを太字とハットの両方で表すスタイルもあります。
$$ \hat{\bm{e}}_x, \quad \hat{\bm{e}}_y, \quad \hat{\bm{e}}_z $$
$$
\hat{\bm{e}}_x, \quad \hat{\bm{e}}_y, \quad \hat{\bm{e}}_z
$$
\hat の中に \bm を入れることで、太字かつハット付きの記号が得られます。
工学でよく使う単位ベクトル
工学分野では、単位ベクトルに特定の記号を使うことがあります。
| 分野 | 表記 | LaTeX |
|---|---|---|
| 直交座標 | $\hat{\bm{e}}_x, \hat{\bm{e}}_y, \hat{\bm{e}}_z$ | \hat{\bm{e}}_x |
| 直交座標(別表記) | $\bm{i}, \bm{j}, \bm{k}$ | \bm{i}, \bm{j}, \bm{k} |
| 円筒座標 | $\hat{\bm{e}}_r, \hat{\bm{e}}_\theta, \hat{\bm{e}}_z$ | \hat{\bm{e}}_r |
| 球座標 | $\hat{\bm{e}}_r, \hat{\bm{e}}_\theta, \hat{\bm{e}}_\phi$ | \hat{\bm{e}}_\phi |
| 法線ベクトル | $\hat{\bm{n}}$ | \hat{\bm{n}} |
座標系によって単位ベクトルの記号が変わるため、一貫性をもって記述することが大切です。
単位ベクトルの書き方がわかったところで、次はベクトルを成分で表記する方法、すなわち列ベクトルと行ベクトルの書き方を見ていきます。
列ベクトルと行ベクトル
列ベクトル
ベクトルの成分を縦に並べて書く列ベクトルは、行列環境を使って表現します。
$$ \bm{x} = \begin{pmatrix} x_1 \\ x_2 \\ x_3 \end{pmatrix} $$
$$
\bm{x} = \begin{pmatrix}
x_1 \\
x_2 \\
x_3
\end{pmatrix}
$$
列ベクトルは $n \times 1$ 行列として扱われます。pmatrix の代わりに bmatrix を使えば角括弧の列ベクトルになります。
行ベクトル
行ベクトルは成分を横に並べます。
$$ \bm{x}^\mathrm{T} = \begin{pmatrix} x_1 & x_2 & x_3 \end{pmatrix} $$
$$
\bm{x}^\mathrm{T} = \begin{pmatrix}
x_1 & x_2 & x_3
\end{pmatrix}
$$
行ベクトルは $1 \times n$ 行列です。転置記号 ${}^\mathrm{T}$ を使って列ベクトルの転置として表すこともよくあります。
一般的な $n$ 次元ベクトル
要素数が多い場合は省略記号を使います。
$$ \bm{x} = \begin{pmatrix} x_1 \\ x_2 \\ \vdots \\ x_n \end{pmatrix} $$
$$
\bm{x} = \begin{pmatrix}
x_1 \\
x_2 \\
\vdots \\
x_n
\end{pmatrix}
$$
\vdots は縦方向の省略記号です。行ベクトルの場合は横方向の \cdots を使います。
列ベクトルと行ベクトルの書き方を押さえました。次は、ベクトルに対する演算の表記法を見ていきましょう。
ベクトル演算の表記
内積(ドット積)
2つのベクトルの内積は、中央の点(ドット)で表します。
$$ \bm{a} \cdot \bm{b} = \sum_{i=1}^n a_i b_i $$
$$
\bm{a} \cdot \bm{b} = \sum_{i=1}^n a_i b_i
$$
\cdot は中央の点を出力します。物理学では $\bm{a} \cdot \bm{b}$、線形代数では $\langle \bm{a}, \bm{b} \rangle$ や $\bm{a}^\mathrm{T}\bm{b}$ と書くこともあります。
$$ \langle \bm{a}, \bm{b} \rangle, \quad \bm{a}^\mathrm{T}\bm{b} $$
$$
\langle \bm{a}, \bm{b} \rangle, \quad \bm{a}^\mathrm{T}\bm{b}
$$
外積(クロス積)
3次元ベクトルの外積は \times で表します。
$$ \bm{a} \times \bm{b} = \begin{vmatrix} \bm{i} & \bm{j} & \bm{k} \\ a_1 & a_2 & a_3 \\ b_1 & b_2 & b_3 \end{vmatrix} $$
$$
\bm{a} \times \bm{b} = \begin{vmatrix}
\bm{i} & \bm{j} & \bm{k} \\
a_1 & a_2 & a_3 \\
b_1 & b_2 & b_3
\end{vmatrix}
$$
外積の結果はベクトルであり、2つのベクトルに直交するベクトルが得られます。行列式の形で書くと計算方法が明確になります。
ノルム(大きさ)
ベクトルの大きさ(ノルム)は二重の縦線で表します。
$$ \|\bm{x}\| = \sqrt{x_1^2 + x_2^2 + \cdots + x_n^2} $$
$$
\|\bm{x}\| = \sqrt{x_1^2 + x_2^2 + \cdots + x_n^2}
$$
\| は二重の縦線を出力します。$L^p$ ノルムの場合は添字を付けて $\|\bm{x}\|_p$ と書きます。
$$ \|\bm{x}\|_1 = \sum_{i=1}^n |x_i|, \quad \|\bm{x}\|_2 = \sqrt{\sum_{i=1}^n x_i^2}, \quad \|\bm{x}\|_\infty = \max_i |x_i| $$
$$
\|\bm{x}\|_1, \quad \|\bm{x}\|_2, \quad \|\bm{x}\|_\infty
$$
テンソル積
テンソル積(クロネッカー積)は \otimes で表します。
$$ \bm{a} \otimes \bm{b} $$
$$
\bm{a} \otimes \bm{b}
$$
量子力学や量子情報の分野でよく使われる表記です。
ベクトル演算の表記を一通り紹介しました。最後に、KaTeXでの注意点とよくある間違いをまとめます。
LaTeX vs KaTeX の注意点
ベクトル表記に関して、KaTeXではほとんどのコマンドが問題なく動作しますが、以下の点に注意してください。
| コマンド | KaTeX対応 | 備考 |
|---|---|---|
\bm |
対応 | 推奨 |
\mathbf |
対応 | ギリシャ文字は非対応 |
\boldsymbol |
対応 | \bm とほぼ同等 |
\vec |
対応 | — |
\overrightarrow |
対応 | — |
\hat |
対応 | — |
\| |
対応 | ノルム用 |
KaTeXでは \bm パッケージの読み込みは不要で、直接 \bm{x} と書けばイタリック太字が得られます。
よくある間違いとTips
間違い1:\mathbf でギリシャ文字を太字にしようとする
% NG: 太字にならない
\mathbf{\alpha}
% OK: \bm を使う
\bm{\alpha}
ギリシャ文字の太字には必ず \bm または \boldsymbol を使いましょう。
間違い2:スカラーとベクトルの区別が曖昧
論文やレポートでは、スカラーは通常のイタリック体、ベクトルは太字イタリック体、行列は太字大文字イタリック体と使い分けるのが慣習です。
$$ \text{スカラー: } x, \quad \text{ベクトル: } \bm{x}, \quad \text{行列: } \bm{A} $$
この区別を一貫して守ることで、読者は変数の種類を一目で判断できます。
Tips:ベクトルの微分
ベクトルの時間微分はドット記号で表すことがあります(ニュートン記法)。
$$ \dot{\bm{x}} = \frac{d\bm{x}}{dt}, \quad \ddot{\bm{x}} = \frac{d^2\bm{x}}{dt^2} $$
$$
\dot{\bm{x}} = \frac{d\bm{x}}{dt}, \quad \ddot{\bm{x}} = \frac{d^2\bm{x}}{dt^2}
$$
\dot は1階微分、\ddot は2階微分を表します。力学の運動方程式でよく使う表記です。
まとめ
本記事では、LaTeXでベクトルを表記するためのさまざまな方法を解説しました。
- 太字コマンド:
\bm(推奨)、\mathbf(立体太字)、\boldsymbol(汎用)の3種類を使い分ける - 矢印記号:
\vec(短い矢印)、\overrightarrow(長い矢印)で手書き風の表記ができる - 単位ベクトル:
\hatでハット記号を付ける - 列・行ベクトル: 行列環境(
pmatrix等)を使って成分を並べる - ベクトル演算: 内積は
\cdot、外積は\times、ノルムは\|...\|で表す
一貫したベクトル表記を使うことで、数式の可読性が大きく向上します。スカラー・ベクトル・行列の書体を明確に区別することを心がけましょう。
次のステップとして、以下の記事も参考にしてください。
- 行列をLaTeXで書く方法を徹底解説 — 行列環境の詳細
- 偏微分・全微分をLaTeXで書く — ベクトル解析で使う微分記号
- 内積・外積・テンソル積をLaTeXで書く — ベクトル演算の詳しい書き方