火星探査機マーズ・リコネサンス・オービターは地球から最大4億キロ離れた位置で観測を続けています。私たちはどうやって、この遠く離れた小さな金属の箱までの距離をメートル単位の精度で知ることができるのでしょうか? レーザーも光学望遠鏡も使えません。電波の往復時間を測るしかないのですが、ただ「パッ」と光のような信号を送るだけでは、巨大なアンテナでも受信できないほど弱い信号にしかなりません。
この問いに対する深宇宙通信の標準的な答えが PN測距(Pseudo Noise Ranging) です。雑音のように見えるけれど実は決まった規則で作られた長い擬似雑音符号を送信し、戻ってきた信号と相関を取って遅延時間を抽出する — この一見遠回りに見える方法こそが、深宇宙探査機の精密な軌道決定を支えています。
PN測距を理解すると、次のような応用に直結します。
- 深宇宙探査機の軌道決定 — NASA Deep Space Network(DSN)や ESA ESTRACK で標準採用されている CCSDS PN ranging
- 静止衛星のレンジング — 衛星の南北/東西保持マヌーバの計画と評価
- GNSS(GPS, Galileo, QZSS)の測位原理 — 各衛星固有のPN符号で疑似距離を計測
- DDOR/Δ-DOR との組合せ — レンジ+ドップラー+角度差で軌道精度をさらに高める
本記事の内容
- パルス測距とPN測距の比較、なぜ拡散符号で距離を測るのか
- m-系列(最大長系列)の自己相関と相互相関の性質
- トーンレンジングからPNレンジングへの発展
- CCSDS 414.1-B-2 PN Ranging Code(T2B/T4B 構成)の概要
- 距離分解能 $\Delta R = c T_c / 2$ と曖昧距離 $R_\text{amb} = c T_\text{seq} / 2$
- コヒーレント転送による2-way レンジング+ドップラー同時推定
- 軌道決定への寄与とDSNでの運用例
前提知識
この記事を読む前に、以下の概念に馴染みがあると理解がスムーズです。
- スペクトル拡散通信の基本(処理利得、拡散符号の役割)
- 信号の自己相関・相互相関の定義
- ドップラー効果の基礎
参考になる既存記事:
- スペクトル拡散通信 — DS-SSとFH-SSの統一的理解
- CDMA通信の理論 — 符号分割多元接続の原理から容量解析まで
- ドップラー効果の理論と応用
- 衛星通信の基礎 — GEOからLEOコンステレーションまで
なぜPN測距か — パルス測距との比較
距離を測る最も素朴な方法は、短いパルスを送って戻ってくるまでの時間 $\tau$ を測り、$R = c \tau / 2$ で求めることです。レーダーの基本原理と同じです。地上のレーダーであれば、強力なパルスを送り、強い反射波を高速サンプリングして時間遅延を見れば良いのですが、深宇宙探査機が相手になると話が変わります。
地球から火星までの最大距離(合のとき)はおよそ $4 \times 10^{11}$ m あります。距離が2乗で効くフリス伝達公式($P_r \propto 1/R^2$ の片道、レンジングでは往復で $1/R^4$ )の下では、受信電力は地上レーダーに比べて天文学的に小さくなります。実際、DSNの 70 m アンテナで受け取る信号は雑音電力よりずっと小さいレベルです。
このとき、短いパルス1発を出して「いつ戻ってきたか」を見ようとしても、雑音に埋もれて立ち上がりが見えません。雑音電力スペクトル密度を $N_0$ 、パルスのエネルギーを $E$ とすると、検出に重要なのは信号対雑音比 $E/N_0$ です。同じ送信電力でも、信号を長時間にわたって相関処理して積分すれば、積分時間に比例して $E$ を稼ぐことができます。
ここに拡散符号を使う動機があります。送信機は、決まった規則で作られた長い擬似雑音符号 $c(t)$ を連続送信します。受信機は同じ符号 $c(t – \hat\tau)$ を局所的に生成し、入力信号 $r(t) = A c(t – \tau) + n(t)$ と乗算して積分します。雑音 $n(t)$ は符号と無相関なので積分すると平均的にゼロに近づき、$\hat\tau = \tau$ のときだけ強いピークが立ちます。
つまりPN測距の本質は、「短いパルスで一発勝負」ではなく「長い符号で時間積分してSNRを稼ぎつつ、相関ピークの位置から $\tau$ を推定する」という発想にあります。短いチップを高速に切り替えれば、相関のピークは鋭く、時間分解能(=距離分解能)は高くなる。系列を長くすれば、より長い時間を積分でき、より遠くまで届く。この二つを別々に設計できる点こそ、PN方式の最大の柔軟性です。
ここまでで「なぜPNか」が見えました。次に、その鍵を握る擬似雑音符号の数学的な性質を整理します。
PN符号の性質 — 自己相関と相互相関
PN(Pseudo Noise)符号は、外見はランダムな ±1 のビット列に見えますが、実は決定論的なシフトレジスタ回路で生成される完全に再現可能な系列です。乱数のように振る舞いながら、送信側と受信側で同じものを再生できる — これが「擬似雑音」と呼ばれる所以です。
最も古典的かつ重要なのが 最大長系列(Maximum Length Sequence, m-系列) です。$n$ 段の線形帰還シフトレジスタ(LFSR)から作られ、周期 $N = 2^n – 1$ チップの ±1 系列となります。例えば $n = 10$ なら $N = 1023$、$n = 18$ なら $N = 262143$ チップ。
m-系列 $c[k] \in \{+1, -1\}$ の循環自己相関は次の極めて整った形になります:
$$ \begin{equation} R_c[m] = \frac{1}{N} \sum_{k=0}^{N-1} c[k] \, c[k+m \bmod N] = \begin{cases} 1 & (m \equiv 0 \pmod N) \\ -\dfrac{1}{N} & (\text{otherwise}) \end{cases} \end{equation} $$
つまり1周期内では、ぴったり一致するときだけ値が1、それ以外は ほぼゼロ(厳密には $-1/N$)という、白色雑音に極めて近い性質を持ちます。$N$ が大きくなるほどサイドローブは1周期あたり $-1/N$ となり、ピークとの差はますます鋭くなります。
連続時間で考えるなら、各チップの幅 $T_c$(チップ長)で矩形パルス整形された信号 $c(t)$ の自己相関は、原点付近で三角波になります:
$$ \begin{equation} R_c(\tau) \approx \begin{cases} 1 – \dfrac{|\tau|}{T_c} & (|\tau| \le T_c) \\ \approx 0 & (T_c < |\tau| < N T_c) \end{cases} \end{equation} $$
この三角波の頂点が遅延 $\tau$ の真値を指しています。サブチップ精度の遅延推定とは、この三角波のピーク位置を補間で求める作業に他なりません。
一方で、軌道上の衛星が複数あって同じ周波数帯を共有するシナリオでは、相互相関の性質も重要です。異なる m-系列同士の循環相互相関の絶対値は、理想的にはゼロにできず、$\sqrt{N}$ 程度のサイドローブを持ちます。これを改善するために、GNSSでは Gold符号(2本のm-系列のXOR)が使われ、相互相関が3値に抑えられた設計になっています。CCSDS の PN ranging ではマルチユーザ性能はGNSSほど重要ではないため、m-系列をベースにした構成が主流です。
m-系列の鋭い自己相関は、まさに「遅延を測るための定規」として使える性質です。次は、この性質がどうやって従来のトーンレンジングを置き換えるに至ったかを見ていきましょう。
トーンレンジングからPNレンジングへ
PN方式が深宇宙で標準になる前、長らく主流だったのが トーンレンジング(Sequential Tone Ranging) です。トーンレンジングでは、まず低周波(例えば 100 kHz)の正弦波を送って位相差を測り、おおまかな距離を決めます。次に、より高い周波数のトーン(例えば 1 MHz、10 MHz)に切り替えて、より細かい位相差を測定し、距離分解能を上げていく。複数のトーンを順番に使うので「Sequential」と呼ばれます。
トーンレンジングは数学的にはシンプルです。周波数 $f$ のトーン $\sin(2\pi f t)$ を送り、戻ってきた信号の位相 $\phi$ から $\tau = \phi / (2\pi f)$ を得ます。ただし位相は $2\pi$ の周期で一意性を失うため、$\tau$ の曖昧距離は $1/f$ — 高い周波数ほど分解能は良いが曖昧範囲が狭い、というトレードオフを階層的に解いていく方式でした。
しかしこの方式には弱点があります。
- 各トーンを順番に送るので測定に時間がかかる(数十秒〜数分)
- アンビギュイティ解消には複数トーンの組合せ条件があり、運用が煩雑
- 単一周波数なので、チャネルの周波数選択性フェージングに弱い
PN方式は、これらの欠点を一度に解決します。PN符号の自己相関は1周期で唯一のピークを持つので、「位相の $2\pi$ 周期で曖昧」という制約がそもそも消えます。曖昧距離はチップではなく1周期分の系列長 $T_\text{seq} = N T_c$ で決まり、典型的には数千〜数百万 km と非常に大きく取れます。さらに広い周波数帯域に拡散されているので、狭帯域な干渉やフェージングにも強い。
実は両者は深い意味で連続しています。CCSDSのPN ranging では、後述するように m-系列ではなくいくつかの周期的なコンポーネントの組合せが使われます。短い周期のコンポーネントが「微細な距離」を、長い周期のコンポーネントが「曖昧範囲の解消」を担う — まさにトーンレンジングの階層化を、デジタル拡散符号の言語で書き直したものとも見ることができます。
それでは、CCSDSが標準化した実際のPNレンジング符号の中身を見ていきましょう。
CCSDS PN Ranging — T2B / T4B コンポーネント
CCSDS(Consultative Committee for Space Data Systems)は、各国宇宙機関が共通で使えるよう、深宇宙PN測距の標準(CCSDS 414.1-B-2 Pseudo-Noise (PN) Ranging Systems)を策定しています。NASA, ESA, JAXA, ISRO などほぼ全ての主要機関の深宇宙ミッションがこの規格を採用しており、地上局と探査機の相互運用性を担保しています。
この規格で使われるPN符号は、単一のm-系列ではなく、6本の周期的なコンポーネント符号 $C_1, C_2, C_3, C_4, C_5, C_6$ の論理組合せで構築されます。各コンポーネントの周期(チップ数)は、互いに素になるよう選ばれた以下の値です。
$$ \begin{equation} L_1 = 2, \quad L_2 = 7, \quad L_3 = 11, \quad L_4 = 15, \quad L_5 = 19, \quad L_6 = 23 \end{equation} $$
これらは「中国剰余定理」的な発想で組合されており、全符号の周期は
$$ \begin{equation} L = L_1 \cdot L_2 \cdot L_3 \cdot L_4 \cdot L_5 \cdot L_6 = 2 \cdot 7 \cdot 11 \cdot 15 \cdot 19 \cdot 23 = 1\,009\,470 \ \text{チップ} \end{equation} $$
となります。チップレート 1 Mcps(後述)で約1秒の周期 — 光の片道で約 $3 \times 10^5$ km、つまり地球-月距離(38万km)以上の曖昧範囲を1周期で取れる計算です。
CCSDS規格には主に2つの推奨符号があります。
- T2B(JPL composite range code) — 最初のコンポーネント $C_1$(周期2のクロックパターン)の重みを大きく取り、他のコンポーネントは曖昧範囲解消の補助とする。チップ遷移が頻繁で相関ピークが鋭く、距離分解能が良い。NASA/JPL系のミッションで標準。
- T4B(ESA composite range code) — 各コンポーネントの重みを変えた別のバランス。捕捉の容易さ(取得時間の短さ)を重視した設計で、ESA系ミッションで使われる。
両者とも基本構造は同じで、$C_1$ が「クロック(時間基準)」、$C_2, \dots, C_6$ が「アンビギュイティ解消用」という役割分担になっています。受信機は、まず周期の短い $C_2$ から始めて段階的に長い $C_6$ まで相関を取り、各コンポーネントの位相を確定させていきます。最終的に全コンポーネントの位相が揃った時点で、トータル周期 $L$ 分の曖昧距離内で一意な遅延が決まります。
このように、CCSDS PN ranging は「微細測定の T2B/T4B のクロック成分」と「広範囲アンビギュイティ解消の長周期成分」を一つの符号系列に統合した、トーンレンジングの後継かつ拡張です。次のセクションでは、この設計がもたらす分解能と曖昧距離のトレードオフを定量的に見てみましょう。
距離分解能と曖昧距離のトレードオフ
PN測距の性能を決めるパラメータは大きく2つあります — チップ長 $T_c$ と系列長 $T_\text{seq}$。前者が距離分解能を、後者が曖昧距離(一意に距離を決められる範囲)を決定します。両者は独立に設計できる点が、トーンレンジングとの最大の違いです。
電波は往復するので、片道遅延 $\tau$ と距離 $R$ の関係は $R = c\tau/2$ となります。距離分解能 $\Delta R$ は時間分解能 $\Delta\tau$ から次のように導かれます。
$$ \begin{equation} \Delta R = \frac{c}{2} \Delta\tau \end{equation} $$
m-系列のチップ間で相関ピークがどれだけ区別できるかという「素朴な分解能」は1チップ幅 $T_c$ に対応します。したがって
$$ \begin{equation} \Delta R_\text{coarse} = \frac{c \, T_c}{2} \end{equation} $$
例えばチップレート $f_c = 1 / T_c = 1$ Mcps($T_c = 1\,\mu\text{s}$)なら $\Delta R_\text{coarse} = 3\times 10^8 \cdot 10^{-6} / 2 = 150$ m。チップレート 24 Mcps(ESA BepiColombo相当)なら約6.25 m。これが「1チップ単位での距離分解能」の目安です。
ただし実用上、相関ピークはチップ単位で離散的に立つわけではなく、サブチップ精度で位置を補間できます。サブチップ精度は信号対雑音比(C/N₀)と積分時間 $T_\text{int}$ に依存し、おおむね
$$ \begin{equation} \sigma_\tau \approx \frac{T_c}{\sqrt{2 \, (C/N_0) \, T_\text{int}}} \end{equation} $$
程度で、サブメートル精度(距離換算で)まで詰めることが可能です。実運用ではノイズだけでなく地球大気・電離層・媒体の擾乱、地上局の校正などが効いてくるため、長時間積分後に1〜数メートルの精度を達成しています。
一方、曖昧距離 $R_\text{amb}$ は系列の総周期 $T_\text{seq} = N T_c$ で決まります。
$$ \begin{equation} R_\text{amb} = \frac{c \, T_\text{seq}}{2} = \frac{c \, N \, T_c}{2} \end{equation} $$
CCSDS T2B の場合、$N = 1\,009\,470$ チップで $T_c = 1\,\mu\text{s}$ とすれば $T_\text{seq} \approx 1.009$ 秒、$R_\text{amb} \approx 1.51 \times 10^5$ km。これは月の軌道を超える範囲です。実際の深宇宙ミッションでは、概略距離は別の手段(事前の軌道予測)で十分知れているので、PN測距は「予測距離からのずれをこの曖昧範囲内で精密に決める」という使い方になります。
両者の関係を整理すると以下の通りです。
| 量 | 式 | 例($f_c$ = 1 Mcps, $N$ = $10^6$) |
|---|---|---|
| 距離分解能(粗) | $\Delta R = c T_c / 2$ | 150 m |
| 距離精度(積分後) | $c \sigma_\tau / 2$ | サブメートル〜数 m |
| 曖昧距離 | $R_\text{amb} = c N T_c / 2$ | 約 $1.5\times10^5$ km |
「分解能を上げたければ $T_c$ を小さく」「曖昧距離を伸ばしたければ $N$ を大きく」と、別々のノブで調整できる — これがPNレンジングの設計上の自由度です。
次は、この設計が受信機側でどう実装され、相関ピークがどのように検出されるかを見ていきましょう。
受信機での相関ピーク検出
地上局の受信機は、極めて弱い信号から相関ピークを取り出さなければなりません。基本的な信号モデルは、ダウンリンクから受信される複素ベースバンド信号を
$$ \begin{equation} r(t) = A \, c(t – \tau) \, e^{j 2\pi f_d t + j\phi_0} + n(t) \end{equation} $$
と書きます。ここで $A$ は受信振幅、$c(t)$ は送信PN符号(チップ整形済)、$\tau$ は未知の遅延、$f_d$ はドップラー周波数、$\phi_0$ は搬送波位相、$n(t)$ は加法ガウス雑音です。
遅延 $\tau$ を推定する基本的な操作は、テスト遅延 $\hat\tau$ ごとに相関値
$$ \begin{equation} R(\hat\tau) = \int_0^{T_\text{int}} r(t) \, c^*(t – \hat\tau) \, e^{-j 2\pi \hat{f_d} t} \, dt \end{equation} $$
を計算し、$|R(\hat\tau)|$ が最大となる $\hat\tau$ を選ぶことです。$\hat\tau = \tau$、$\hat{f_d} = f_d$ のとき、信号項は積分時間 $T_\text{int}$ にわたって同位相で積算され、強いピークが立ちます。一方雑音項は無相関なので $\sqrt{T_\text{int}}$ でしか増えず、結果として相関後のSNRは $T_\text{int}$ に比例して向上します。
実装上は、$\tau$ と $f_d$ の2次元探索空間をチップ単位グリッド × ドップラー周波数ビンで全探索する acquisition(取得) フェーズと、ピーク近傍に早期/遅延ゲート(Early-Late discriminator)と PLL/DLL の追従ループを置く tracking(追従) フェーズに分かれます。
CCSDS PN ranging では、コンポーネントが6本に分かれている利点を生かして取得を加速します — 各コンポーネントを順に同期させていくシーケンシャル取得が標準です。最初に短周期の $C_2$(周期7)を引っかけ、その位相情報を使って $C_3$(周期11)を探索、と進めていきます。フル系列を一気に全探索すると計算量が $L \sim 10^6$ で爆発しますが、$L_2 + L_3 + L_4 + L_5 + L_6 = 75$ チップを順に探索する方が圧倒的に軽い。
ここで、m-系列の自己相関の鋭さを実際に確認しておきましょう。LFSRから作った短い m-系列の自己相関を計算してみます。
import numpy as np
import matplotlib.pyplot as plt
def m_sequence(n, taps):
"""n段LFSRからm-系列を生成(±1)"""
state = np.ones(n, dtype=int)
N = 2**n - 1
seq = np.zeros(N, dtype=int)
for k in range(N):
seq[k] = state[-1]
fb = 0
for t in taps:
fb ^= state[t-1]
state = np.roll(state, 1)
state[0] = fb
return 2*seq - 1 # 0,1 -> -1,+1
# 10段 m-系列(周期1023), taps [10,3] は原始多項式 x^10 + x^3 + 1 に対応
c = m_sequence(10, [10, 3])
N = len(c)
# 循環自己相関
R = np.array([np.sum(c * np.roll(c, m)) for m in range(N)]) / N
plt.figure(figsize=(9, 4))
plt.plot(np.arange(N), R, linewidth=0.8)
plt.axhline(0, color='gray', linewidth=0.5)
plt.xlabel('Lag (chips)')
plt.ylabel('Normalized autocorrelation $R_c[m]$')
plt.title('Autocorrelation of m-sequence (N=1023)')
plt.grid(alpha=0.3)
plt.show()
このグラフから3つのことが読み取れます。第一に、ラグ0(および周期 $N$ の倍数)でのみ値が1となる極めて鋭いピークが立っています — これがPN測距で「ぴたりと一致した遅延」を識別できる原理です。第二に、ラグ0以外では全ての値が $-1/N \approx -10^{-3}$ で、目視ではほぼゼロのフラットな床になっています。第三に、ピークとサイドローブの比は $N$ にほぼ等しく約30 dB — 系列長を伸ばすほどダイナミックレンジが上がり、より深い雑音中からピークを引き上げられることを示しています。
実際のCCSDS T2B/T4Bでは、これに加えて $C_1$(周期2、つまり「+1, -1, +1, -1, …」のクロック)が支配的に重ねられるため、自己相関のピークはさらに鋭くなり、サブチップ補間で高精度の遅延推定が可能になります。
ここまでで「距離」がどう測られるかを見ました。しかし宇宙機は止まっていません — 受信周波数はドップラーシフトを受け、距離は時々刻々変化します。これを単なる誤差源にせず、むしろ測距と同時に測定する観測量として活用するのが、次に説明するコヒーレント転送です。
ドップラー結合 — レンジとレンジレートの同時推定
宇宙機との通信では、地上局からのアップリンク信号と探査機からのダウンリンク信号があります。CCSDSの深宇宙標準では、探査機の トランスポンダ はアップリンク搬送波の周波数を厳密に追跡し、その周波数に有理数の固定比 $\alpha$(例えば 880/749 や 240/221)を掛けてダウンリンク搬送波を生成します。これを コヒーレント転送(two-way coherent mode) と呼びます。
なぜわざわざこんなことをするのか — それは、探査機側に搭載できる発振器(USO: Ultra-Stable Oscillator でも)と地上局の水素メーザー級の周波数標準とでは安定度が桁違いだからです。探査機の自前の発振器に頼ると、その周波数ドリフトが直接ドップラー測定誤差になってしまう。アップリンクを基準に掛け算でダウンリンクを作れば、地上局の超高精度時計を実質的に往復路の周波数基準として共有できるわけです。
この構成でのダウンリンク搬送波周波数 $f_d^\text{dn}$ は、宇宙機のレンジレート $\dot R = dR/dt$ を介して
$$ \begin{equation} f_d^\text{dn} = \alpha f_d^\text{up}\left(1 – \frac{2\dot R}{c}\right) + O\left((\dot R / c)^2\right) \end{equation} $$
と書けます(往復で2回ドップラーがかかるので係数2)。地上局では受信周波数を計測して、設計値からのずれから $\dot R$ を抽出できます。
PN測距の遅延測定で得られる距離 $R(t)$ と、搬送波ドップラーで得られるレンジレート $\dot R(t)$ は、同じ往復電波経路から導かれる完全に独立な観測量になります。これは軌道決定の観点では非常に強力です。位置だけを観測するより、位置と速度をペアで観測する方が、軌道6要素を短時間で収束させられるからです。
なお、地上の送信局と受信局が同じか別かによって、レンジングモードは次のように分類されます。
- 1-way ranging — 探査機が独自時計で送信、地上で受信。探査機側時計の精度に律速。
- 2-way ranging — 同一の地上局がアップリンクとダウンリンクを担当(コヒーレント転送)。最も精度が高く標準的。
- 3-way ranging — アップリンク送信局とダウンリンク受信局が別。地球自転や局間ベースラインを考慮する必要がある。
実運用ではさらに、ドップラー観測値を時間積分した ドップラー積分(integrated Doppler) を補助的な距離変化量として併用します。これは「PNで絶対距離」「ドップラー積分で相対距離変化」という冗長な情報源で、両者の一致を見ることでシステマティック誤差の検出にも使えます。
次のセクションでは、この2-way ranging が軌道決定全体の中でどう位置づけられているかを見ていきます。
軌道決定への寄与
軌道決定(Orbit Determination, OD)は、観測量の系列から探査機の状態ベクトル $\bm{x} = (\bm{r}, \dot{\bm{r}})$ と未知パラメータ(太陽輻射圧係数、推進剤排出による微小ΔV、地球重力高次項など)を最尤推定する問題です。観測量と状態の関係式 $y = h(\bm{x}) + \nu$ について、典型的にはバッチ最小二乗法またはシーケンシャル推定(カルマンフィルタ系)で解かれます。
PN測距と2-wayドップラーが軌道決定に提供する観測量は次の2種類です。
$$ \begin{equation} \begin{aligned} y_R(t_k) &= R(t_k) + \nu_R \quad \text{(レンジ観測)} \\ y_{\dot R}(t_k) &= \dot R(t_k) + \nu_{\dot R} \quad \text{(レンジレート観測)} \end{aligned} \end{equation} $$
ここで $R(t_k) = \|\bm{r}_\text{sc}(t_k) – \bm{r}_\text{station}(t_k)\|$ は探査機と地上局のスラント距離、$\dot R$ はその時間微分です。観測ノイズ $\nu_R$ は典型値で 1〜数 m、$\nu_{\dot R}$ は 0.1 mm/s 級と非常に小さい。
この2種類の観測量を時間方向に積み重ねると、地球の自転による地上局の見かけの動きと探査機の3次元位置・速度が幾何学的に分離できるようになります。直感的には、地球が自転するにつれて地上局位置はベースライン方向に動くので、その「地球の腕の振り」を利用して探査機の三次元位置を逆問題として解くわけです。これだけで、半径方向には数メートル、横断方向には数十〜数百メートルの精度が出ます。
しかし、横断方向(line-of-sight に垂直な方向)の精度はレンジ+ドップラーだけではどうしても劣ります。これを補うのが Δ-DOR(Delta Differential One-way Ranging) です。地上の異なる2局(例: ゴールドストーン × マドリード)で同一の探査機信号と参照クェーサーを同時観測し、両局到達時刻差を比較することで、探査機の天空座標を直接測ります。Δ-DORは数ナノラジアン級の角度精度を持ち、太陽系内では数kmの横断方向精度に対応します。
実運用では、
- PN ranging — 距離(半径方向)を高精度に
- 2-way Doppler — 速度を高精度に、地球自転を介して位置の制約も
- Δ-DOR — 角度(横断方向)を高精度に
の3種類が組み合わされ、ミッションのフェーズ(巡航、惑星近接、軌道投入)に応じて重みを変えながらバッチ最小二乗で軌道が決まっていきます。例えば火星周回探査機の場合、地球出発から数か月の巡航フェーズで毎日1〜2セッションのDSNパスを行い、各セッション内でレンジ+ドップラー+Δ-DORが取得されます。
最後に、こうしたPN測距が実際にどう運用されているか、DSNの具体例を見て締めくくります。
DSNでの運用例
NASA Deep Space Network(DSN)はカリフォルニア・ゴールドストーン、スペイン・マドリード、オーストラリア・キャンベラの3地点に配置された深宇宙通信網で、地球自転に対し約120度ずつ離れているため、24時間どの時点でも少なくとも1局が任意の深宇宙ミッションを見られる配置になっています。各地点には 34 m と 70 m のアンテナがあります。
典型的な深宇宙ミッションのレンジングパスは次のように進行します。
- スケジューリング — DSN Operations Planning System で何分から何分まで、どの局のどのアンテナで、どの探査機を追跡するかが決まる
- アップリンク確立 — 地上局がX帯 (7-8 GHz) または Ka帯 (32 GHz) でアップリンク搬送波を送出し、探査機トランスポンダがロックする
- PN ranging オン — アップリンクに CCSDS T2B/T4B 符号を変調して送信。探査機側ではコヒーレント転送モードで受信PN符号を復調・再変調してダウンリンクへ
- ダウンリンク取得 — 地上局がダウンリンク搬送波をPLL追尾、PN符号をDLL追尾、相関ピーク位置から往復遅延を計測
- データ生成 — 数秒〜数十秒積分したレンジ値とドップラー値を、TRK-2-34形式の観測量ファイルとして出力
- 軌道決定 — JPLの MONTE や ESAのGODOTといった軌道決定ソフトウェアに観測量を入力し、状態ベクトルを更新
DSNの 70 m アンテナ + 20 kW送信 + 32 Mcps PN ranging という典型構成では、火星距離(往復約30分)でも数メートルクラスのレンジ精度を達成しています。地球-冥王星級の超遠距離(往復約9時間)では信号がさらに弱く、長時間積分で数十メートル精度が限界ですが、それでも軌道予測の文脈では十分です。
ESAの ESTRACK(New Norcia, Cebreros, Malargüe など)も同様にCCSDS T4B符号を採用しており、両機関の探査機を相互運用できます。例えばESA BepiColomboの初期巡航フェーズでは DSNが補助的な追跡を行い、JAXAの GREAT 地上局(臼田・内之浦・美笹)もはやぶさ2や DESTINY+ で同等の運用を行っています。
このように、PN ranging は単なる「距離計測の技」ではなく、国際協調の枠組みの上で動く深宇宙運用の共通言語として根付いています。そしてその基盤を、たった ±1 のシフトレジスタ系列の自己相関の鋭さが支えている — このシンプルさと深さこそが、PN測距という技術の魅力です。
まとめ
本記事では、宇宙機の距離を測る代表的な手法であるPN測距(Pseudo Noise Ranging)について、原理から運用例まで体系的に解説しました。要点を整理します。
- PN測距の本質は、長い擬似雑音符号を送信し、戻り信号との相関ピーク位置から往復遅延を抽出することにある。短時間パルスでなく時間積分でSNRを稼げるため、深宇宙の弱信号でも精密測距が可能
- m-系列の自己相関は、原点で1・他で $-1/N$ という極めて整った形を持ち、相関ピークが「遅延を測る定規」として機能する
- CCSDS PN ranging(414.1-B-2)は、6本のコンポーネント符号(周期 $L_1=2, L_2=7, \dots, L_6=23$)を組み合わせ、T2B(JPL系)と T4B(ESA系)で標準化されている
- 距離分解能 $\Delta R = c T_c / 2$ と曖昧距離 $R_\text{amb} = c N T_c / 2$ は、チップ長と系列長で独立に設計できる。1 Mcps で 150 m分解能・約15万 km曖昧距離が典型値
- 2-wayコヒーレント転送により、地上局の超高安定発振器を実質的に往復路の基準として共有でき、レンジ(PN)とレンジレート(ドップラー)が同時かつ独立に計測できる
- 軌道決定ではPN ranging(半径方向)、2-way Doppler(速度+地球自転由来の位置)、Δ-DOR(横断方向角度)を組み合わせて高精度な状態推定を行う
- DSN/ESTRACK は CCSDS規格を共有し、国際的に相互運用可能な深宇宙運用基盤を形成している
次のステップとして、以下の記事も参考になります。
- スペクトル拡散通信 — DS-SSとFH-SSの統一的理解 — PN符号と拡散符号の基本
- CDMA通信の理論 — 符号分割多元接続の原理から容量解析まで — Gold符号と相互相関の話題
- ドップラー効果の理論と応用 — レンジレート測定の物理的基礎
- 衛星通信の基礎 — GEOからLEOコンステレーションまで — 衛星通信全体像