数値の大きさを表す絶対値 $|x|$ は、数学・物理・機械学習を問わず最も頻繁に現れる記号のひとつです。しかし「LaTeXでどう書けばよいか」となると、意外と選択肢が多くて迷います。素の縦棒 |x|、\lvert x \rvert、\left| ... \right|——どれが「正しい」のかわからない、という経験をした方は少なくないはずです。
この記事では、絶対値の書き方をリファレンス形式でまとめます。「やりたいこと」から逆引きできる早見表を先頭に置き、各コマンドの意味・スペーシングの違い・サイズ調整・マクロ定義・ノルムや行列式との使い分けまでをコピペ可能な実例で解説します。
なぜきちんと書き分けるべきか、一例を挙げます。ε-δ論法の定義では
$$ |f(x) – L| < \varepsilon \quad \text{ならば} \quad |x - a| < \delta $$
と書くことになりますが、分数を含む式になると
$$ \left| \frac{x^2 – 1}{x – 1} \right| $$
のように縦棒が自動的に大きくなる \left| が必須になります。素の | で書いてしまうと縦棒が小さすぎて読みにくい数式になります。
本記事の内容
- やりたいことから引ける逆引き早見表
- 素の縦棒
|の問題と\lvert \rvertの正式な使い方 \left| \right|の自動サイズ調整と手動サイズコマンド\newcommand{\abs}マクロ定義のすすめ- 絶対値・ノルム・行列式・集合濃度の使い分け
- 複素数・三角不等式・ε-δ定義の実戦例
- KaTeX互換表と よくある間違いの修正

この図が記事全体の出発点です。絶対値 $|x|$ の本質は「数直線上で原点から $x$ までの距離」です。$|3| = 3$ は原点から右に3、$|-2| = 2$ は原点から左に2——どちらの方向でも「距離」なので必ず $0$ 以上になります。この距離としての解釈が、複素数・ノルム・ε-δ論法などすべての応用場面の土台になっています。
逆引き早見表:やりたいことからコマンドを引く
| やりたいこと | コマンド | 表示 | 条件・備考 |
|---|---|---|---|
| 基本の絶対値(推奨) | \lvert x \rvert |
$\lvert x \rvert$ | KaTeX対応。開き/閉じを区別 |
| 素打ち(簡易) | |x| |
$|x|$ | KaTeX対応。スペーシングに注意 |
| 自動サイズ(分数など) | \left| \frac{x}{y} \right| |
$\left| \frac{x}{y} \right|$ | KaTeX対応。推奨 |
| 手動 big サイズ | \bigl| x \bigr| |
$\bigl| x \bigr|$ | KaTeX対応 |
| 手動 Big サイズ | \Bigl| x \Bigr| |
$\Bigl| x \Bigr|$ | KaTeX対応 |
| 手動 bigg サイズ | \biggl| x \biggr| |
$\biggl| x \biggr|$ | KaTeX対応 |
| ノルム(ベクトル) | \lVert \bm{x} \rVert |
$\lVert \bm{x} \rVert$ | KaTeX対応。二重縦棒 |
| ノルム自動サイズ | \left\| \bm{x} \right\| |
$\left\| \bm{x} \right\|$ | KaTeX対応 |
| 行列式 | \det(A) または |A| |
$\det(A)$ | 関数形式が明示的で推奨 |
| 集合の濃度 | |S| |
$|S|$ | 文脈依存。要注釈 |
| 条件付き確率のバー | P(A \mid B) |
$P(A \mid B)$ | \mid 推奨(| より余白が適切) |
| 絶対値マクロ | \abs{x} |
$\lvert x \rvert$ | \newcommand{\abs}[1]{\lvert #1 \rvert} で定義後 |
細かい説明に入る前に、全コマンドをここから引けるようにしました。各行の詳細は以降のセクションで順に解説します。
1. 絶対値とは——原点からの距離という直感
数学で「絶対値」が最初に登場するのは中学校ですが、大学数学・工学になると絶対値は「複素数の大きさ」「収束の条件」「誤差の評価」など、ずっと深い意味を持つようになります。まず直感的なイメージを確認しておきましょう。
実数 $x$ の絶対値は次のように定義されます。
$$ |x| = \begin{cases} x & (x \geq 0) \\ -x & (x < 0) \end{cases} $$
「$x$ が正ならそのまま、負なら符号を反転させる」という操作ですが、より直感的には数直線上で原点から $x$ までの距離です。距離は常に $0$ 以上なので、$|x| \geq 0$ が自然に成り立ちます。
この「距離」という解釈は非常に重要です。収束の定義「$x_n \to L$ とは $|x_n – L| \to 0$」も、「$x_n$ と $L$ の距離が $0$ に近づく」という意味として読めます。機械学習でよく見る MAE(平均絶対誤差)$\frac{1}{n}\sum |y_i – \hat{y}_i|$ も「予測値と真値の距離の平均」そのものです。
絶対値の基本性質
絶対値を使う数式を書くうえで、基本性質も押さえておきましょう。
非負性: $$ \lvert x \rvert \geq 0, \quad \lvert x \rvert = 0 \iff x = 0 $$
乗法性(積と絶対値は交換できる): $$ \lvert x \cdot y \rvert = \lvert x \rvert \cdot \lvert y \rvert $$
これを使うと、例えば $\lvert (x-a)(x-b) \rvert = \lvert x-a \rvert \cdot \lvert x-b \rvert$ と分解できます。
三角不等式: $$ \lvert x + y \rvert \leq \lvert x \rvert + \lvert y \rvert $$
「2点の距離は回り道より短い(または等しい)」という幾何学的な意味を持ちます。ε-δ論法や収束の証明で頻繁に使われます。
逆三角不等式(reverse triangle inequality): $$ \bigl\lvert \lvert x \rvert – \lvert y \rvert \bigr\rvert \leq \lvert x – y \rvert $$
これも重要な不等式です。「外側の絶対値が大きくなりすぎることはない」という意味で、解析学の証明で役立ちます。
これらの性質をLaTeXで書くとき、特に入れ子になった絶対値 $\bigl\lvert \lvert x \rvert – \lvert y \rvert \bigr\rvert$ では外側と内側のサイズを変えることが大切です。上の例では外側に \bigl\lvert ... \bigr\rvert、内側に \lvert ... \rvert を使っています。
絶対値の直感と基本性質を押さえたところで、LaTeX/KaTeX での書き方の詳細に進みます。

縦棒が使われる3つの主要な記号を並べた図です。左の単棒「絶対値 |x|」、中央の二重棒「ノルム ||x||」、右の「行列式 |A|」は見た目が似ていても意味が全く異なります。詳細は §5 で解説しますが、先に全体像として頭に入れておきましょう。
2. 素の縦棒 | の問題と \lvert \rvert の正式な書き方
素打ち | の何が問題か
キーボードの縦棒 | を数式モードでそのまま書く方法は最も手軽ですが、スペーシングの面で問題があります。
LaTeXの数式モードでは、記号の種類によって前後の余白が自動的に設定されます。= のような「関係記号(rel)」は前後に中程度の余白、+ のような「二項演算子(bin)」は少し狭い余白……という具合です。ところが素の | は「常用文字(ord)」として扱われ、前後の余白が設定されません。
KaTeXでは視覚的な違いが出にくい場面もありますが、複雑な数式が並んだときに空白のバランスが崩れることがあります。特に | ... | の中に二項演算子や関係記号が入るケースで差が出ます。
% 素打ち(推奨しない)
$|x - a| < \varepsilon$
% 正式(推奨)
$\lvert x - a \rvert < \varepsilon$

図のタイトル行が示すとおり、\lvert と \rvert を使うと開き括弧・閉じ括弧として正確に認識され、前後の余白が適切に設定されます。素打ち | でも多くの場面で問題はありませんが、正式な LaTeX 文書(卒論・論文・教科書)では \lvert \rvert を使う習慣をつけておくと安全です。
\lvert と \rvert の書き方
% インライン(文中)
$\lvert x \rvert = 3$
% ブロック数式
$$
\lvert x - a \rvert < \varepsilon
$$
\lvert は「左(left)縦棒(vert)」、\rvert は「右(right)縦棒」の意味です。必ず対で使います。
\vert との違い
\vert というコマンドも存在します。こちらは「縦棒そのもの」で、開き/閉じの区別がありません。
$\vert x \vert$ % \vert — 開き/閉じ区別なし
$\lvert x \rvert$ % \lvert \rvert — 開き/閉じ区別あり(推奨)
視覚的にはほぼ同じですが、スペーシングの正確さという観点から \lvert \rvert を使うほうが原則に沿っています。\vert は区切り記号(集合の内包的記法 $\{x \mid x > 0\}$ など)に使う場面が多いです。
\lvert \rvert と | の表示上の違いを確かめる
KaTeXで両者を並べて表示すると、シンプルな式では見分けがつきにくいですが、前後のコンテキストがあると余白の差が出ます。
% 前後に演算子がある場合で差が出る
$f(x) := |x|$ % := の後に | が詰まって見えることがある
$f(x) := \lvert x \rvert$ % 余白が自然
論文の投稿規定が厳しい会議(NeurIPS, ICML など)では PDF の組版品質が重要なため、\lvert \rvert を使うのが標準的です。卒業論文・修士論文でも、指導教員のスタイルに合わせつつ \lvert \rvert を基本にするのが安全です。
素の縦棒の問題と \lvert の正式な使い方が理解できたところで、分数や総和を含む「大きい式」への対応を見ていきましょう。
3. 大きい式には \left| \right| か手動サイズを使う
分数を含む式で縦棒が小さくなる問題
分数や総和を絶対値で囲むと、素の縦棒では縦棒が小さすぎて読みにくくなります。
% NG:縦棒が分数に対して小さすぎる
$|\frac{x^2 - 1}{x - 1}|$
% OK:\left| \right| で自動サイズ
$\left| \frac{x^2 - 1}{x - 1} \right|$
$$ \left| \frac{x^2 - 1}{x - 1} \right| = \left| x + 1 \right| \quad (x \neq 1) $$
\left| ... \right| は、囲んでいる数式の高さに合わせて縦棒のサイズを自動的に調整します。これが基本的な推奨形です。
サイズ指定コマンドの一覧
自動サイズではなく手動でサイズを指定したい場合は、次のコマンドを使います。
\bigl| x \bigr| % big:自動より少し大きい
\Bigl| x \Bigr| % Big:もう一段大きい
\biggl| x \biggr| % bigg:さらに大きい
\Biggl| x \Biggr| % Bigg:最大サイズ
$$ \bigl| x \bigr| \quad \Bigl| x \Bigr| \quad \biggl| x \biggr| \quad \Biggl| x \Biggr| $$
手動サイズは、\left| ... \right| の自動調整が意図しない大きさになった場合の調整に使います。一般的な文書では \left| ... \right| で十分なことがほとんどです。

図を見ると、\left|\right| が分数の高さに合わせて自動的に縦棒を伸ばしていることがわかります。\bigl| や \Bigl| は固定サイズなので、囲む式の高さによっては縦棒が足りなかったり大きすぎたりします。通常は \left|\right| を使い、必要に応じて手動サイズに切り替えるのが実践的な使い方です。
多重絶対値の書き方
絶対値の中に絶対値が入るケースもあります。
% 外側に \left|\right|、内側に \lvert\rvert
$$
\left| \lvert x \rvert - \lvert y \rvert \right| \leq \lvert x - y \rvert
$$
$$ \left| \lvert x \rvert - \lvert y \rvert \right| \leq \lvert x - y \rvert $$
これは「逆三角不等式」と呼ばれる重要な性質です。外側と内側でサイズを変えることで、入れ子構造が視覚的に明確になります。
\left| と \right. の組み合わせ
\left| ... \right. という書き方もあります。\right. はピリオドを渡すことで「サイズを揃えるが記号を出さない」という特殊な構文です。これは片方だけに縦棒を出したい場面(評価記号との組み合わせなど)で使います。
% 評価記号 |_{x=0} と組み合わせる
$$
\left. \frac{d}{dx} f(x) \right|_{x=0}
$$
$$ \left. \frac{d}{dx} f(x) \right|_{x=0} $$
「$x=0$ における $f$ の微分値」を表すこの記法は微分・偏微分の書き方でよく見られます。左側は \left. でサイズを揃え(記号は出さない)、右側の \right| が実際の縦棒になります。
サイズ調整の方法が整理できたところで、毎回コマンドを打つ手間を省くマクロ定義を紹介します。
4. マクロ定義で入力を楽にする
\newcommand{\abs} の定義
論文や長文の数式では \lvert と \rvert を何十回も打つことになります。これを一つのマクロにまとめると入力が楽になり、定義を一箇所変えるだけで全体に反映されます。
LaTeX(PDF出力環境)でのマクロ定義:
% プリアンブルに追記
\usepackage{mathtools}
\newcommand{\abs}[1]{\lvert #1 \rvert}
% 本文での使用
$\abs{x - a} < \varepsilon$
$\abs{f(x) - L} < \delta$
$\abs{z} = \sqrt{x^2 + y^2}$
[1] は引数の数(1つ)、#1 が渡した内容に置き換わります。\abs{x - a} と書くだけで \lvert x - a \rvert と同じ結果が得られます。
大きい式にも対応するには、\left\lvert ... \right\rvert のバージョンにします。
% 自動サイズ版マクロ
\newcommand{\abs}[1]{\left\lvert #1 \right\rvert}
% 使用例
$$
\abs{\frac{x^2 - 1}{x - 1}}
$$

図が示すように、左の「マクロなし」と右の「マクロあり」では記述の見た目は同じですが、ソースコードの書きやすさ・変更のしやすさが大きく異なります。特に同じ論文内で絶対値のスタイルを統一したい場合(\lvert \rvert から \left| \right| に変更する等)、マクロ定義なら一行書き換えるだけで済みます。
physics パッケージの \abs{}
LaTeX では physics パッケージにも \abs{} が定義されています。
\usepackage{physics}
\abs{x} % → \left| x \right|
\abs*{x} % → \lvert x \rvert(自動サイズオフ版)
ただし、KaTeX(本ブログの数式レンダラー)は physics パッケージをサポートしていません。ブログ記事などの KaTeX 環境では、上記の \newcommand で自前定義するか、毎回 \lvert ... \rvert を明示的に書く必要があります。
KaTeX での \newcommand の扱い
KaTeXも \newcommand に対応しています。ただしスコープが数式ブロック単位であるため、一つの $$...$$ ブロック内で定義して別のブロックで使うことはできません。
% KaTeX での例:同じブロック内での定義と使用
$$
\newcommand{\abs}[1]{\lvert #1 \rvert}
\abs{x - a} < \varepsilon
$$
これはレンダラーの制約なので、KaTeX ブログでは毎回 \lvert ... \rvert か \left| ... \right| と書くのが確実です。
マクロ定義の概要が理解できたところで、絶対値と混同しやすい「縦棒系の記号」の使い分けを整理しましょう。
5. 絶対値・ノルム・行列式・集合濃度の使い分け
縦棒(単棒または二重棒)を使う記号は複数あり、意味が全く異なります。文脈から判断できる場合もありますが、明確に書き分けることが読みやすさにつながります。

図の表が全体の整理になっています。以下では各記号について詳しく説明します。
絶対値 |x|(スカラー)
実数・複素数のスカラー値に対して使います。
$\lvert x \rvert$ % 実数の絶対値
$\lvert z \rvert$ % 複素数の絶対値
$\lvert x - y \rvert$ % 差の絶対値(距離)
$$ \lvert -3 \rvert = 3, \quad \lvert 3 + 4i \rvert = 5 $$
ノルム ‖x‖(ベクトル・関数)
ベクトルや関数の「大きさ」を表します。単棒ではなく二重縦棒を使います。
$\lVert \bm{x} \rVert$ % 推奨(開き/閉じ区別)
$\left\| \bm{x} \right\|$ % 自動サイズ版
$\lVert \bm{x} \rVert_2$ % ℓ2 ノルム(ユークリッド距離)
$\lVert \bm{x} \rVert_1$ % ℓ1 ノルム(マンハッタン距離)
$\lVert \bm{x} \rVert_\infty$ % ℓ∞ ノルム(最大値ノルム)
$$ \lVert \bm{x} \rVert_2 = \sqrt{x_1^2 + x_2^2 + \cdots + x_n^2} $$
絶対値 \lvert \rvert(単棒)とノルム \lVert \rVert(二重棒)を間違えないことが重要です。スカラーには \lvert、ベクトルには \lVert が対応します。
行列式 det(A)
正方行列 $A$ の行列式には、主に二つの書き方があります。
$\det(A)$ % 関数形式(推奨)
$\det \begin{pmatrix} a & b \\ c & d \end{pmatrix}$ % 行列を直接渡す
$|A|$ % 縦棒形式(慣習的)
$$ \det \begin{pmatrix} a & b \\ c & d \end{pmatrix} = ad - bc $$
|A| という書き方は歴史的な慣習ですが、絶対値や集合の濃度と混同されやすいため、\det(A) の方が明示的で推奨されます。
集合の濃度(要素数)|S|
集合 $S$ の要素数(濃度)を表すときにも縦棒が使われます。
$|S|$ % 集合の濃度
$|\mathcal{D}|$ % データセットのサイズ
$$ |\{1, 2, 3\}| = 3, \quad |\mathbb{N}| = \aleph_0 $$
この用法は文脈から絶対値と区別できることが多いですが、定義の最初に「$|S|$ は集合 $S$ の要素数を表す」と一言断っておくと親切です。
条件付き確率のバー P(A|B)
確率論で $P(A \mid B)$「$B$ が起きたときの $A$ の確率」のバーには、素の | ではなく \mid を使います。
% NG:素の | はスペーシングが不自然
$P(A | B)$
% OK:\mid は関係記号扱いで前後の余白が適切
$P(A \mid B)$
$$ P(A \mid B) = \frac{P(A \cap B)}{P(B)} $$
\mid は「中置縦棒(middle vertical bar)」として関係記号の余白が設定されます。集合の内包的記法 $\{x \in \mathbb{R} \mid x > 0\}$ にも \mid を使うのが正式です。
集合の内包的記法(|の別用途)
集合の内包的記法でも縦棒が使われます。
% NG:素の | はスペーシングが不自然
$\{x \in \mathbb{R} | x > 0\}$
% OK:\mid を使う
$\{x \in \mathbb{R} \mid x > 0\}$
% または \colon を使う(好みによる)
$\{x \in \mathbb{R} \colon x > 0\}$
$$ \{x \in \mathbb{R} \mid x > 0\}, \quad \{(x, y) \in \mathbb{R}^2 \mid x^2 + y^2 < 1\} $$
\mid と \colon の違いは主に流儀の差です。数学の教科書では \mid、論理学や集合論では \colon を好む著者も多くいます。いずれにせよ素の | ではなく専用コマンドを使いましょう。
整除記号(割り切れる)
整数論での「$a$ は $b$ を割り切る($a \mid b$)」も縦棒で書きます。
$a \mid b$ % a は b を割り切る(\mid を使う)
$a \nmid b$ % a は b を割り切らない
$$ 2 \mid 6, \quad 3 \nmid 7 $$
この用法では \mid が関係記号として正しい余白を生み出します。条件付き確率 $P(A \mid B)$ と全く同じコマンドですが、文脈が異なるだけです。
意味ごとの使い分けが整理できたところで、実際の数式でどのように使うかを具体的に見ていきましょう。
6. 実戦例——複素数・三角不等式・ε-δ定義

図の3パネルが、絶対値が実際に登場する重要な数式の場面を示しています。左から順に解説します。
複素数の絶対値(モジュラス)
複素数 $z = x + iy$ の絶対値(モジュラスとも呼ぶ)は複素平面における原点からの距離です。
$$ \lvert z \rvert = \sqrt{x^2 + y^2} $$
$$
\lvert z \rvert = \sqrt{x^2 + y^2}
$$
例えば $z = 3 + 4i$ なら $\lvert z \rvert = \sqrt{9 + 16} = 5$。複素指数関数との関係では、オイラーの公式 $e^{i\theta} = \cos\theta + i\sin\theta$ より $\lvert e^{i\theta} \rvert = 1$ が成り立ちます(単位円周上)。
信号処理では、フーリエ変換 $\hat{f}(\omega)$ の絶対値 $\lvert \hat{f}(\omega) \rvert$ がパワースペクトルに対応します。
三角不等式
$$ \lvert x + y \rvert \leq \lvert x \rvert + \lvert y \rvert $$
$$
\lvert x + y \rvert \leq \lvert x \rvert + \lvert y \rvert
$$
「2辺の和は残りの1辺より大きい(等号は2点が同じ向きに並ぶとき)」という三角形の性質の一般化です。図の中央パネルでは青の $|a+b|$ が黄の $|a|+|b|$ を超えることはなく、両者が一致するのは同符号の点のみであることが確認できます。
複数の絶対値を含む等式・不等式を LaTeX で書くときは、次のように縦揃えすると読みやすくなります。
$$
\begin{align}
\lvert x + y \rvert &\leq \lvert x \rvert + \lvert y \rvert \\
\bigl\lvert \lvert x \rvert - \lvert y \rvert \bigr\rvert &\leq \lvert x - y \rvert
\end{align}
$$
$$ \begin{align} \lvert x + y \rvert &\leq \lvert x \rvert + \lvert y \rvert \\ \bigl\lvert \lvert x \rvert - \lvert y \rvert \bigr\rvert &\leq \lvert x - y \rvert \end{align} $$
二つ目の式が「逆三角不等式」で、$\lvert x \rvert - \lvert y \rvert$ の絶対値は $\lvert x - y \rvert$ を超えません。
ε-δ定義(極限の厳密な定義)
微分積分の基礎であるε-δ論法では絶対値が不可欠です。
$$ \lim_{x \to a} f(x) = L \iff \forall \varepsilon > 0,\, \exists \delta > 0 \text{ s.t. } \lvert x - a \rvert < \delta \Rightarrow \lvert f(x) - L \rvert < \varepsilon $$
$$
\lim_{x \to a} f(x) = L
\iff \forall \varepsilon > 0,\, \exists \delta > 0 \text{ s.t. }
\lvert x - a \rvert < \delta \Rightarrow \lvert f(x) - L \rvert < \varepsilon
$$
図の右パネルでは、$f(x) = x^2$ の $x = 1.5$ 付近で ε 近傍と δ 近傍が可視化されています。$\lvert x - a \rvert < \delta$ の黄色い縦の帯に入ると、$\lvert f(x) - L \rvert < \varepsilon$ の緑の横の帯に収まることが確認できます。
条件数の定義(数値解析)
行列の条件数(ill-conditioned ness の指標)では絶対値とノルムが組み合わさります。
$$ \kappa(A) = \lVert A \rVert \cdot \lVert A^{-1} \rVert $$
$$
\kappa(A) = \lVert A \rVert \cdot \lVert A^{-1} \rVert
$$
スカラーの絶対値 \lvert \rvert とベクトル・行列のノルム \lVert \rVert を同じ数式内で正確に書き分けることが、式の意味を明確に伝えます。
機械学習での絶対値の典型的な用法
機械学習の文献では絶対値が頻繁に登場します。代表的な使い方をまとめます。
MAE(平均絶対誤差): $$ \text{MAE} = \frac{1}{n} \sum_{i=1}^{n} \lvert y_i - \hat{y}_i \rvert $$
$$
\text{MAE} = \frac{1}{n} \sum_{i=1}^{n} \lvert y_i - \hat{y}_i \rvert
$$
Lasso正則化(L1正則化): $$ \min_{\bm{w}} \left[ \frac{1}{n} \sum_{i=1}^{n} (y_i - \bm{w}^\top \bm{x}_i)^2 + \lambda \sum_{j=1}^{d} \lvert w_j \rvert \right] $$
$$
\min_{\bm{w}} \left[ \frac{1}{n} \sum_{i=1}^{n} (y_i - \bm{w}^\top \bm{x}_i)^2
+ \lambda \sum_{j=1}^{d} \lvert w_j \rvert \right]
$$
L1正則化の $\sum \lvert w_j \rvert$ 項では \lvert w_j \rvert を使うのが正式です。添字 $j$ が入る場合は \bigl|\bigr| まで大きくする必要はありません。
SVMのヒンジ損失: $$ \ell(y, \hat{y}) = \max(0,\, 1 - y \hat{y}) = \frac{1 + \lvert 1 - y\hat{y} \rvert - (1 - y\hat{y})}{2} $$
ヒンジ損失を絶対値で表現するこの等式も、証明の過程で \lvert \rvert が活躍します。
これらの機械学習の式では、絶対値が単純な大きさの測定(誤差・係数の大きさ)として使われています。式の目的が明確なため、サイズ調整は通常 \lvert \rvert で十分で、\left|\right| が必要になるのは分数を含む積分など大きい式のときです。
実戦例を通じて、絶対値が複数の文脈でどう使われるかが見えてきました。次は KaTeX での互換性と、よくある間違いを整理します。
7. KaTeX互換表
本ブログ(KaTeX使用)での各コマンドの対応状況をまとめます。

| コマンド | 表示 | KaTeX対応 | 備考 |
|---|---|---|---|
\lvert x \rvert |
$\lvert x \rvert$ | 対応 | 推奨。開き/閉じを区別 |
\rvert x \lvert |
— | 対応(ただし向き逆) | 開き/閉じが逆になるので注意 |
\left| x \right| |
$\left| x \right|$ | 対応 | 自動サイズ調整 |
\bigl| \bigr| |
$\bigl| \bigr|$ | 対応 | 手動 big サイズ |
\Bigl| \Bigr| |
$\Bigl| \Bigr|$ | 対応 | 手動 Big サイズ |
\biggl| \biggr| |
$\biggl| \biggr|$ | 対応 | 手動 bigg サイズ |
\Biggl| \Biggr| |
$\Biggl| \Biggr|$ | 対応 | 手動 Bigg サイズ |
\lVert x \rVert |
$\lVert x \rVert$ | 対応 | ノルム(二重縦棒) |
\left\| x \right\| |
$\left\| x \right\|$ | 対応 | 自動サイズのノルム |
\mid |
$a \mid b$ | 対応 | 条件付き確率・集合の区切り |
\| |
$\| x \|$ | 対応 | \lVert \rVert の省略形 |
\vert |
$\vert$ | 対応 | 開き/閉じ区別なしの単棒 |
\Vert |
$\Vert$ | 対応 | 開き/閉じ区別なしの二重棒 |
図から、絶対値・ノルム関連のコマンドはほぼすべてKaTeXで対応していることがわかります。\lvert \rvert の L が大文字か小文字かで単棒(絶対値)と二重棒(ノルム)が変わる点が最も混同しやすいポイントです——\lvert は単棒(絶対値)、\lVert は二重棒(ノルム)と覚えましょう。
8. よくある間違いと修正
間違い1:\left| の閉じを忘れる
\left| を開いたら必ず \right| で閉じる必要があります。閉じ忘れると数式全体がエラーになります。
% NG:閉じていない
$\left| x + 1$
% OK:\right| で閉じる
$\left| x + 1 \right|$
% OK:\right. でサイズだけ閉じる(記号を出さない)
$\left| x + 1 \right.$
\right. はピリオドを入れることで「閉じるが記号は出さない」という特殊な使い方です。片側だけ縦棒が必要な場面(場合分けの横など)で使います。
間違い2:| を3連続で書くと崩れる
条件付き確率を素の | で書いたときに問題が起きます。
% NG:P(A|B) の | がスペーシングおかしい
$P(A|B)$
% OK:\mid を使う(関係記号扱いで余白が適切)
$P(A \mid B)$
$$ P(A \mid B) = \frac{P(A \cap B)}{P(B)} $$
素の | は文字扱いなので前後に余白が入らず、$P(A|B)$ と書くと $A$、|、$B$ が詰まって見えます。\mid を使うと関係記号の余白が設定されます。
間違い3:| と || を混同する(絶対値とノルム)
% NG:ノルムに単棒を使う
$||\bm{x}|| = 1$
% OK:\lVert を使う
$\lVert \bm{x} \rVert = 1$
% OK:\| の省略形でも可
$\|\bm{x}\| = 1$
|| と打つと二本の素縦棒が並ぶだけで、ノルムとしての正確な記号になりません。\lVert \rVert が正式なノルム記号です。
間違い4:\left| の閉じ方
自動サイズのノルムには \left\| と \right\| を使いますが、バックスラッシュを忘れやすいです。
% NG:\| ではなく | が自動サイズになっている
$\left| \bm{x} \right|$ % 絶対値になる
% OK:\left\| ... \right\| でノルム
$\left\| \bm{x} \right\|$
\left| と \left\| は全く別の記号です。\left| は自動サイズの絶対値、\left\| は自動サイズのノルムです。
間違い5:\lvert の L と \lVert の V の混同
絶対値とノルムのコマンドは1文字しか違いません。
\lvert x \rvert % 小文字 l → 単棒(絶対値)
\lVert x \rVert % 大文字 V → 二重棒(ノルム)
$$ \lvert x \rvert \quad \text{(絶対値・単棒)} \qquad \lVert \bm{x} \rVert \quad \text{(ノルム・二重棒)} $$
l が小文字か V が大文字かという区別は視覚的に見逃しやすいです。覚え方は「Vector のノルムだから Vert が大文字」とイメージするとよいでしょう。ソースを書いた後に見直す際は「二重縦棒を使っているのにスカラーの変数を渡していないか」を確認する習慣をつけましょう。
間違い6:det(A) を |A| と書いて絶対値に見える
% 紛らわしい:絶対値か行列式か不明
$|A + B| \geq |A|$
% 明確:\det を使う(推奨)
$\det(A + B) \geq \det(A)$
% または注記を添える
$|A + B|_{\text{det}} \geq |A|_{\text{det}}$
行列式の $|A|$ 記法は慣習的に広く使われていますが、同じ数式内でスカラーの絶対値も出てくる場合は混乱を招くことがあります。行列が主役の文脈では \det を明示する習慣をつけましょう。
まとめ
本記事では、LaTeX/KaTeX での絶対値 $|x|$ の書き方をリファレンス形式で解説しました。
| 場面 | 推奨コマンド | 理由 |
|---|---|---|
| 基本の絶対値 | \lvert x \rvert |
開き/閉じ区別でスペーシング正確 |
| 大きい式(分数など) | \left\| \frac{x}{y} \right\| ではなく \left| \frac{x}{y} \right| |
自動サイズ調整 |
| 頻出する場合 | \newcommand{\abs}[1]{\lvert #1 \rvert} |
一括変更が容易 |
| ノルム | \lVert \bm{x} \rVert |
二重縦棒でスカラーと区別 |
| 行列式 | \det(A) |
絶対値との混同を避ける |
| 条件付き確率のバー | P(A \mid B) |
\mid で関係記号扱い |
最終的な判断基準を三つにまとめると、スカラーには \lvert \rvert、ベクトルには \lVert \rVert、大きい式には \left| \right|——これが記事全体の要点です。素打ちの | でも多くの場面で通用しますが、組版の正確さを求める文書(論文・教科書)では正式なコマンドを使う習慣をつけておきましょう。
また、| の3連続や || の混用は見た目の問題だけでなく、意味の取り違えを招くことがあります。記号の意味(絶対値・ノルム・行列式・集合濃度・条件付き確率のバー)を意識して書き分けることで、数式の読みやすさが格段に上がります。
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