アンテナの測定室を訪ねると、アンテナから数十メートルも離れた場所に受信アンテナが設置されていることに気づきます。なぜこれほど離す必要があるのでしょうか。アンテナを近くに置いて測ればよいように思えますが、実はアンテナのすぐ近くと遠く離れた場所では、電磁界の振る舞いがまったく異なります。近くで測った放射パターンは「そのアンテナ本来のパターン」ではなく、距離によって姿を変える過渡的なものです。遠く離れて初めて、アンテナの真の「顔」が現れます。
この「近く」と「遠く」の境目を定量的に与えるのがフラウンホーファー距離(Fraunhofer distance) $R_{\rm FF} = 2D^2/\lambda$ という式です。アンテナの口径 $D$ と波長 $\lambda$ だけで決まるこの距離は、アンテナ測定、5Gビームフォーミング、EMC測定距離の設計にまで登場する実用的な基準です。
近傍界と遠方界の違いを理解すると、次のような問いに自信を持って答えられるようになります。
- アンテナ測定: 測定距離が足りなかったとき、誤差がどのくらい生じるのか?
- EMC試験: なぜ測定距離が3mと10mで規定されているのか?
- 5Gビームフォーミング: 近距離の基地局と遠距離の端末でビームの振る舞いが違う理由は?
本記事の内容
- 近傍界・遠方界の3領域(リアクティブ近傍界/放射近傍界/遠方界)の定義と境界式
- フラウンホーファー距離 $R_{\rm FF} = 2D^2/\lambda$ の几何学的導出(行路差から)
- 遠方界の3つの基本性質:$E \propto 1/r$、局所平面波近似、波動インピーダンス377Ω
- リアクティブ近傍界で何が起きているか(蓄積エネルギーの支配)
- 測定・実務への影響(アンテナ測定距離の設計、近傍界測定の概念)
- Pythonによる全可視化(行路差、距離別パターン、境界距離の設計図)
前提知識
この記事を読む前に、以下の記事を読んでおくと理解が深まります。
アンテナの周りには「3つの世界」がある
アンテナに電力を供給すると、その周囲に電磁界が広がります。しかしこの電磁界は、アンテナから遠ざかるにつれて3つの性格の異なる領域を通過します。

この概念図から、アンテナのすぐ周囲から遠方に向かって、性格の異なる3つの領域が順に広がっていることが読み取れます。リアクティブ近傍界(アンバー帯)では渦を巻くような蓄積エネルギーが支配的で、放射近傍界(グリーン帯)ではパターンがまだ変化し続けます。そして遠方界(ブルー帯)に達して初めて $E \propto 1/r$ の球面波が安定した放射パターンで広がります。
それぞれの領域を順に見ていきましょう。
リアクティブ近傍界(Reactive Near-Field)
アンテナに最も近い領域です。ここでは、実際に外へ飛び出す電磁波エネルギー(放射エネルギー)よりも、アンテナ周囲にたまったまま外へ出ない蓄積エネルギー(リアクティブ・エネルギー) の方が大きい。コンデンサの電極間の電界や、コイルの周囲の磁界と同じで、エネルギーがその場で振動するだけです。
電気双極子の電界は、距離 $r$ の逆数の異なる次数の項の和になっています。
$$ E \propto \frac{1}{(kr)^3} + \frac{1}{(kr)^2} + \frac{1}{kr} $$
$k = 2\pi/\lambda$ は波数です。$r$ が小さいとき($kr \ll 1$)は $1/(kr)^3$ 項が圧倒的に支配します。この項はエネルギーを外へ運ばず、アンテナの近くで振動するだけの蓄積エネルギーに対応します。一方、遠方では $1/(kr)$ 項だけが残り、これが放射エネルギーを運ぶ項です。
蓄積エネルギーと放射エネルギーが同程度になる境目は $kr \approx 1$、すなわち $r \approx \lambda/(2\pi) \approx 0.159\lambda$ です。この境界の外側までがリアクティブ近傍界です。近傍界測定器(プローブ)でこの領域に踏み込むと、プローブ自身がアンテナの放射特性を乱してしまうため、細心の注意が必要です。
放射近傍界(Radiating Near-Field)— フレネル領域
リアクティブ近傍界を抜けると、放射エネルギーが主役になります。しかし、波面の曲率がまだ無視できない段階です。遠方から来た平面波を想像すると、波面は無限遠のサイズの平面ですが、有限距離の点波源(アンテナ)からの波面は球面です。球面波は局所的に見れば平面波に近くなりますが、アンテナのすぐそばでは曲率が大きく、「ほぼ平面波」と近似できません。
この曲率のせいで、放射パターンが観測距離によって変わります。アンテナの端と中心から来る波の到達時間(位相)の差が大きく、干渉のパターンが距離の関数として変化するのです。測定距離を変えながら放射パターンを測定してみると、遠方界の真のパターンとは異なる形が得られます。
この領域をフレネル領域(Fresnel region)とも呼び、光学のフレネル回折に対応します。放射近傍界の下限はリアクティブ近傍界の外縁($r \approx 0.62\sqrt{D^3/\lambda}$)、上限はフラウンホーファー距離 $R_{\rm FF}$ です。
遠方界(Far-Field)— フラウンホーファー領域
アンテナから十分遠ざかると、球面波の曲率が無視できるほど小さくなり、局所的に見れば平面波と区別できなくなります。この状態が遠方界(far-field)であり、フラウンホーファー領域(Fraunhofer region)とも呼ばれます。
遠方界では重要な性質が成立します。
- 放射パターンが距離によらず一定: 放射パターン(指向性)は遠方界に達したときに「確定」し、それ以上遠ざかっても形が変わらない。
- $E \propto 1/r$、電力密度 $S \propto 1/r^2$: 球面波のエネルギー保存則から自然に導かれる。
- 局所平面波近似: 電界と磁界が伝搬方向に直交し、波動インピーダンス $Z_0 = E/H = 377\,\Omega$(自由空間)が成立する。
この遠方界の始まりを定量的に与えるのがフラウンホーファー距離です。次にこの距離を几何学的に導きます。
フラウンホーファー距離の導出 — 行路差の幾何学
フラウンホーファー距離 $R_{\rm FF} = 2D^2/\lambda$ は、どのような条件から来るのでしょうか。その根拠は「アンテナ開口端と中心から観測点までの行路差がどれだけ許容できるか」という問いに集約されます。

この幾何図から、アンテナの中心と端点から観測点Pまでの距離の差(行路差)が $\Delta r \approx D^2/(2R)$ となることが読み取れます。この行路差が波長に比べて十分小さければ「局所平面波」の近似が成立する — それがフラウンホーファー条件の本質です。
行路差の厳密な計算
口径 $D$ のアンテナを考えます。中心を原点に取り、端点は $y = \pm D/2$ にあります。観測点 P を軸上の距離 $R$ の点($x = R, y = 0$)とします。
中心から P までの距離 $r_0$ は単純に
$$ r_0 = R $$
端点 $y = D/2$ から P までの距離 $r_{\rm edge}$ は三平方の定理から
$$ r_{\rm edge} = \sqrt{R^2 + \left(\frac{D}{2}\right)^2} $$
行路差 $\Delta r = r_{\rm edge} – r_0$ を計算します。$D/2 \ll R$ を仮定すると、平方根を展開できます。
$$ r_{\rm edge} = R\sqrt{1 + \frac{D^2}{4R^2}} $$
ここで $\sqrt{1 + \epsilon} \approx 1 + \epsilon/2$($|\epsilon| \ll 1$)というテイラー展開を使うと($\epsilon = D^2/(4R^2)$)、
$$ r_{\rm edge} \approx R\left(1 + \frac{D^2}{8R^2}\right) = R + \frac{D^2}{8R} $$
したがって行路差は
$$ \Delta r = r_{\rm edge} – r_0 \approx \frac{D^2}{8R} $$
全開口(端点から端点まで $D$)を考えると最大行路差は $D/2$ の端の寄与が両端で $D^2/(8R)$ずつなので、最大行路差は
$$ \Delta r_{\rm max} = \frac{(D/2)^2}{2R} = \frac{D^2}{8R} $$
(半開口 $D/2$ の端から中心まで。全開口の端から端では $\frac{D^2}{2R}$)。
実用上、フラウンホーファー条件は「最大行路差が $\lambda/16$ 以下」です。
$$ \Delta r_{\rm max} = \frac{D^2}{8R} \leq \frac{\lambda}{16} $$
$\lambda/16$ という基準は、位相誤差でいうと $2\pi/\lambda \cdot \lambda/16 = \pi/8 = 22.5°$ に対応します。この位相誤差がアンテナパターンの振幅に与える誤差が1dB以下(約12%以下)であることが確かめられており、実用的な精度の目安として広く使われています。
この不等式を $R$ について解くと、
$$ R \geq \frac{16 D^2}{8\lambda} = \frac{2D^2}{\lambda} $$
これがフラウンホーファー距離
$$ \boxed{R_{\rm FF} = \frac{2D^2}{\lambda}} $$
です。$D$ が大きいほど(大型アンテナ)、$\lambda$ が短いほど(高周波)、遠方界に入るまでの距離が長くなることが式から直接読み取れます。
なぜ $\lambda/16$ なのか
$\lambda/8$ にすれば境界がもっと近くなって都合がよいのに、なぜわざわざ厳しい $\lambda/16$ を使うのでしょうか。これはアンテナパターン測定の精度要件と歴史的な実験的検証の積み重ねによる工学的判断です。
$\lambda/16$ の位相誤差(22.5°)では、余弦関数でいうと $\cos(22.5°) \approx 0.924$ なので、振幅の誤差は約7.6%、電力では約0.7dBです。これはサイドローブ測定精度として許容できるとされています。より精密な測定(低サイドローブアンテナなど)では $\lambda/32$ や $\lambda/64$ を要求することもあります。
フラウンホーファー距離と開口径・周波数の関係を実際の数値で確認してみましょう。
行路差と境界距離 — Python による可視化
行路差 $\Delta r = D^2/(8R)$ が距離 $R$ に対してどう変化するか、そしてフラウンホーファー境界でその値が $\lambda/16$ を切ることを確認します。
import numpy as np
import matplotlib
matplotlib.use("Agg")
import matplotlib.pyplot as plt
for cand in ["Hiragino Sans", "Yu Gothic", "Noto Sans CJK JP", "IPAexGothic", "Meiryo"]:
if any(cand == f.name for f in matplotlib.font_manager.fontManager.ttflist):
plt.rcParams["font.family"] = cand
break
plt.rcParams["axes.unicode_minus"] = False
lam = 0.1 # 波長 [m](周波数3GHz相当)
D_vals = [0.5, 1.0, 2.0] # 開口径 [m]
R_vals = np.logspace(-1, 2, 500)
for D in D_vals:
delta_r = D**2 / (8 * R_vals) # 最大行路差(半開口の端→中心)
R_FF = 2 * D**2 / lam # フラウンホーファー距離
# R_FF での行路差を確認
dr_at_FF = D**2 / (8 * R_FF)
ratio = dr_at_FF / (lam/16)
print(f"D={D}m: R_FF={R_FF:.1f}m, Δr/(λ/16)= {ratio:.3f}")
# D=0.5m: R_FF=5.0m, Δr/(λ/16)= 1.000
# D=1.0m: R_FF=20.0m, Δr/(λ/16)= 1.000
# D=2.0m: R_FF=80.0m, Δr/(λ/16)= 1.000
このコードを実行すると、すべての開口径で $R_{\rm FF} = 2D^2/\lambda$ の点において $\Delta r = \lambda/16$ が成立することが確認できます。$\Delta r/(λ/16) = 1.000$ という結果は、フラウンホーファー距離の定義そのものを数値的に裏付けています。

この対数プロットから、距離が増えると行路差 $\Delta r/\lambda$ が単調に減少することが読み取れます。各開口径の曲線は点線(フラウンホーファー境界)でちょうど $\lambda/16$ の赤い基準線を横切っています。開口径が大きいほど(黄)、境界距離が大きく右にシフトすることも確認できます。フレネル条件($\lambda/8$、橙破線)はフラウンホーファー条件の約2倍近い距離から成立し始めます。
フラウンホーファー距離の開口径・周波数依存性
設計現場では「このアンテナを測定するには何メートル離れればよいか」を素早く見積もる必要があります。$R_{\rm FF} = 2D^2/\lambda$ を様々な条件で計算してみます。
import numpy as np
c = 3e8 # 光速 [m/s]
# 代表的なアンテナの R_FF
scenarios = [
("スマートフォンアンテナ", 0.05, 2.4e9),
("5G基地局アンテナ", 0.3, 3.5e9),
("Xバンドレーダー", 0.5, 10e9),
("Kaバンド衛星通信", 1.2, 30e9),
("大型パラボラ (直径3m)", 3.0, 12e9),
]
print(f"{'アンテナ':<22} {'D[m]':>6} {'f[GHz]':>8} {'λ[mm]':>7} {'R_FF[m]':>9}")
print("-" * 60)
for name, D, f in scenarios:
lam_s = c / f
R_FF = 2 * D**2 / lam_s
print(f"{name:<22} {D:>6.2f} {f/1e9:>8.1f} {lam_s*1e3:>7.1f} {R_FF:>9.1f}")
実行すると次のような結果が得られます。
アンテナ D[m] f[GHz] λ[mm] R_FF[m]
------------------------------------------------------------
スマートフォンアンテナ 0.05 2.4 125.0 0.0
5G基地局アンテナ 0.30 3.5 85.7 2.1
Xバンドレーダー 0.50 10.0 30.0 16.7
Kaバンド衛星通信 1.20 30.0 10.0 288.0
大型パラボラ (直径3m) 3.00 12.0 25.0 720.0
スマートフォンのアンテナ($D = 5$ cm)では $R_{\rm FF} \approx 0.04$ m とわずか数センチなので、通常の距離ならすでに遠方界内にいます。一方、大型レーダーや衛星通信パラボラでは $R_{\rm FF}$ が数百メートルに達し、屋外の広大な測定場(アウトドアレンジ)や近傍界スキャナを使わざるを得ません。この違いが「大きなアンテナほど測定が難しい」理由の根本です。

左図からは、同じ周波数でも開口径が大きくなると $R_{\rm FF}$ が $D^2$ に比例して急激に増えることが読み取れます。右図では、周波数が上がると(波長が短くなると)同じ口径でも $R_{\rm FF}$ が伸びる様子がわかります。EMC測定で使われる3mと10mの測定距離(赤・紫の破線)を超えるかどうかが、アンテナの種類と周波数によって大きく変わることも確認できます。
遠方界の3つの基本性質
遠方界に入ると、電磁界は3つの重要な性質を示します。これらは互いに関連した性質です。
1. 電界強度 $E \propto 1/r$(電力密度 $S \propto 1/r^2$)
アンテナが等方的に電磁波を放射する理想的なケース(等方性アンテナ)を考えます。送信電力 $P_{\rm t}$ が半径 $r$ の球面上に均等に広がるとき、単位面積あたりの電力(電力密度)は
$$ S = \frac{P_{\rm t}}{4\pi r^2} $$
で、$S \propto 1/r^2$ となります。電力密度 $S$ は電界強度 $E$ と波動インピーダンス $Z_0$ を通じて $S = E^2/Z_0$ と関係するため、
$$ E = \sqrt{S \cdot Z_0} = \sqrt{\frac{P_{\rm t} Z_0}{4\pi}} \cdot \frac{1}{r} $$
すなわち $E \propto 1/r$ です。これが遠方界の「距離の2乗則」ではなく「距離の1乗則」です。指向性のあるアンテナでは利得 $G$ を掛けて
$$ E = \frac{\sqrt{P_{\rm t} G Z_0}}{2\sqrt{\pi}} \cdot \frac{1}{r} $$
となりますが、$1/r$ 依存性は変わりません。
2. 球面波から局所平面波へ
遠方界では球面波の波面は局所的に平面に近似でき、電界と磁界は伝搬方向に直交する横断面内で振動する横波(TEM波)として扱えます。この「局所平面波近似」が成立するために、波面の曲率半径($\approx r$)が観察する空間スケール(アンテナ口径 $D$)よりも十分大きいことが必要です。
$$ \frac{D^2}{8R} \leq \frac{\lambda}{16} \quad \Leftrightarrow \quad R \geq R_{\rm FF} $$
これはまさにフラウンホーファー条件そのものです。局所平面波近似が成立するから放射パターンが距離によらず安定し、$E \propto 1/r$ の法則が成立する — 3つの性質が相互に連結していることがわかります。
3. 波動インピーダンス $Z_0 = E/H = 377\,\Omega$
遠方界では電界と磁界の比が自由空間インピーダンス $Z_0$ に収束します。
$$ Z_0 = \frac{E}{H} = \sqrt{\frac{\mu_0}{\varepsilon_0}} = 120\pi \approx 377\,\Omega $$
$\mu_0 = 4\pi \times 10^{-7}$ H/m は真空の透磁率、$\varepsilon_0 = 8.854 \times 10^{-12}$ F/m は真空の誘電率です。この関係は、自由空間を伝わる平面波が持つ基本的な性質で、マクスウェル方程式から直接導かれます。
近傍界では $Z_0 = E/H$ は複素数になり、リアクティブ成分(蓄積エネルギー)を反映して $|Z|$ が 377Ωから大きくずれます。ただし「どちらにずれるか」はアンテナの種類と使う近似式に依存します。ループアンテナ(磁気型)では磁界が優勢になるため $|Z| \ll 377\,\Omega$(低インピーダンス型近傍界)、ダイポール(電気型)では理論的には $|Z| \gg 377\,\Omega$(高インピーダンス型)になりえます。いずれにせよ遠方界に向かうにつれて $|Z| \to 377\,\Omega$ に収束します。

左図では、遠方界の電界(シアン)が $1/r$ で緩やかに、近傍界電界(近似、アンバー破線)が $1/r^2$ でより急峻に減衰する様子が読み取れます。右図の対数プロットでは傾きが次数に直結し、遠方界(シアン)が傾き -1、電力密度(グリーン)と近傍界電界が傾き -2 の直線になっていることを確認できます。遠方界では「1メートル距離が2倍になると電界が半分、電力は4分の1になる」という逆二乗則が視覚的に把握できます。
球面波から局所平面波へ — 遠方界の直感
波面の曲率がどのように変化するかをイメージすることで、遠方界の直感がより深まります。

左図(近傍界)では、球面波面の曲率が大きく、アンテナの近くでは波面のカーブが無視できません。その結果、観測アンテナの各部位に届く波の位相がバラバラになり、放射パターンが距離の関数として変化します。一方、右図(遠方界)では波面がほぼ平らになり、緑の破線枠で示した観測領域では局所的に平面波として扱えます。伝搬ベクトル $k$ が一定方向を向くため、干渉パターンが安定して固定した放射パターンが得られます。
この「局所平面波近似の成立」が遠方界の本質であり、フラウンホーファー距離は「どこから局所平面波と見なしてよいか」の境界を定量的に与えます。
近傍界での放射パターンの変化
遠方界では放射パターンが距離によらず一定ですが、近傍界では距離ごとにパターンが変化します。

この極座標プロットから、近傍界(赤:$0.1 R_{\rm FF}$)では放射パターンが広がって崩れ、複数の副ローブが現れたりビーム幅が変化していることが読み取れます。フラウンホーファー境界(シアン:$R_{\rm FF}$)に近づくにつれてパターンが整ってきて、遠方界(青:$2.5 R_{\rm FF}$)では均一開口の sinc² パターンに収束しています。アンテナの設計通りの放射パターンは遠方界でしか観測できない、という重要な事実がこの一枚に凝縮されています。
リアクティブ近傍界 — 蓄積エネルギーの世界
リアクティブ近傍界の物理を深堀りします。アンテナのすぐそばで何が起きているのでしょうか。
電気双極子(ダイポールアンテナの基本単位)の電界は、厳密には3種類の項の重ね合わせです。
$$ E_r \propto \frac{1}{(kr)^3} + \frac{1}{(kr)^2} + \frac{j}{(kr)} $$
(角度依存性は省略。$j$ は虚数単位)
各項の物理的意味はこうです。
- $1/(kr)^3$ 項(リアクティブ項): コンデンサの電界に対応する静電界的な蓄積エネルギー。エネルギーを外へ運ばない。
- $1/(kr)^2$ 項(誘導項): 電流によって誘導される磁界に対応。これもエネルギーを遠くへ運ばない(近距離で生じる「感応電界」)。
- $1/(kr)$ 項(放射項): 外へ飛び出して戻ってこない放射エネルギー。
$kr = 1$($r = \lambda/2\pi \approx 0.159\lambda$)の点で、リアクティブ項と放射項の大きさが等しくなります。これがリアクティブ近傍界と放射近傍界の境目の目安です。

左図から、距離が小さいときは $1/(kr)^3$ の蓄積項(赤)が放射項(シアン)よりも急峻に大きく、$kr = 1$(縦の白点線)を境に逆転することが読み取れます。右図の二重対数プロットでは蓄積エネルギー密度(赤)と放射エネルギー密度(シアン)の交差点が $kr = 1$(アンバーの破線)付近にあり、その左側(赤の塗りつぶし)が蓄積優位、右側(シアンの塗りつぶし)が放射優位の領域です。リアクティブ近傍界に測定プローブを入れると蓄積エネルギーを乱してアンテナ特性を変えてしまう理由が、この図からよく理解できます。
波動インピーダンス — 近傍から遠方への移行
遠方界での $Z_0 = 377\,\Omega$ はよく知られていますが、近傍界ではどうなっているのでしょうか。

左図は遠方界での電界(シアン)と磁界(アンバー破線)の波形です。$E/H = 377\,\Omega$ という関係の下、両者が同位相で振動しています。この「同位相」という性質は遠方界固有のもので、近傍界ではリアクティブエネルギーのために $E$ と $H$ の位相がずれます。
右図では近傍界(アンバー)の $|Z|$ が距離 $r/\lambda$ の増加とともに $377\,\Omega$(シアン破線)に向かって単調に収束していく様子が確認できます。この近似式($Z \approx Z_0/(1 – j/(kr))$)では、近傍で $|Z|$ が $Z_0$ より小さい低インピーダンス側に出ますが、これは分母の虚部 $1/(kr)$ が大きくなってリアクティブ成分が支配するためです。$r = 1\lambda$ 以上になると差が 1% 未満となり、遠方界($r/\lambda \gg 1$)で完全に $377\,\Omega$ に収束します。
測定・実務への影響
近傍界・遠方界の理解は、アンテナに関わる実測定に直接影響します。
アンテナ測定距離の設計
アンテナの放射パターン・利得・指向性を正しく測定するには、送受信アンテナ間の距離を $R \geq R_{\rm FF} = 2D^2/\lambda$ 以上確保しなければなりません。これを下回る距離では、遠方界パターンが測定されず、フレネル領域のパターンが得られます。
実際には安全マージンを考慮して $R = 2R_{\rm FF}$ 以上とすることが多く、大型アンテナでは数十メートルから数百メートルの屋外測定場(アウトドアレンジ)が必要になります。
近傍界スキャン測定(Near-Field Measurement)
大型アンテナを遠方界で測定するには広大なスペースが必要で、特にミリ波・マイクロ波帯の大開口アンテナでは現実的でないケースもあります。そこで実用化されているのが近傍界測定(near-field measurement)です。
近傍界測定では、アンテナの近傍でプローブを平面状・円筒状・球面状に走査して、近傍界の振幅・位相データを取得します。このデータに数学的変換(平面波スペクトル分解やフーリエ変換)を適用すると、遠方界の放射パターンを計算で求めることができます。この近傍界−遠方界変換によって、アンテナを数メートルの無響室に収めながら、数十メートル先の遠方界パターンに相当する情報を得られます。
近傍界スキャンには以下のトレードオフがあります。
| 測定方式 | 特徴 | 用途 |
|---|---|---|
| 平面波スキャン | 数学的に単純。主ビーム付近に向く | 低サイドローブアンテナ |
| 円筒スキャン | 全方位のサイドローブも取得可能 | アレイアンテナ |
| 球面スキャン | 全球の放射パターンを取得 | スモールアンテナ、OTA測定 |
EMC測定距離
電子機器の不要電磁放射(エミッション)を測定するEMC(電磁環境両立性)試験では、3mまたは10mの測定距離が国際規格(CISPR 22/32等)で定められています。
この距離は、測定対象(電子機器の筐体や基板、$D \sim 0.3\sim1$ m程度)から見た遠方界距離の概算と整合しています。GHz帯までの一般的な電子機器では $R_{\rm FF} \leq 5\,\rm m$ 程度であり、3mおよび10m測定がそれぞれ「最小限の遠方界」と「十分な遠方界」に対応します。
より高い周波数(30 GHz以上の5G NR等)では、測定距離の設計も変わります。最近では実際の使用状況に近いOTA(Over-The-Air)測定として、反射板付き近傍界スキャナやコンパクトアンテナ測定装置(CATR: Compact Antenna Test Range)が使われています。
CATRはパラボリック反射板を使って近傍界を局所的に平面波に変換し、物理的に小さな空間でも「遠方界相当の平面波照射」を実現する装置です。位相誤差が $\lambda/16$ 以内の「静寂ゾーン(quiet zone)」をアンテナ正面に作ることで、近傍界スキャンと同様に小さな空間での遠方界測定を可能にします。

この設計図から、アンテナの種類によって推奨測定距離が大きく異なることが読み取れます。5G基地局アンテナ(シアン)は $R_{\rm FF} = 2.1$ m と比較的近く通常の測定室で対応できますが、Kaバンド衛星通信パラボラ(アンバー)は $R_{\rm FF} = 288$ m に達し、屋外レンジかCATRが必須になります。フレネル境界 $R_1$ と遠方界境界 $R_{\rm FF}$ が同じ軸上に並べて表示されていることで、測定条件の設計における2つの境界の意味の違いが直感的につかめます。
Python コード — 全図の生成
ここまでの理論を裏付けるPythonコードをまとめます。各コードは独立して実行できます。
行路差の距離依存性の検証
import numpy as np
lam = 0.1 # 波長 [m]
D_vals = [0.5, 1.0, 2.0]
print(f"{'D[m]':>6} {'R_FF[m]':>10} {'Δr at R_FF':>12} {'λ/16':>10} {'Δr/(λ/16)':>12}")
print("-" * 55)
for D in D_vals:
R_FF = 2 * D**2 / lam
dr_at_FF = D**2 / (8 * R_FF) # 最大行路差(半開口端→中心)
ratio = dr_at_FF / (lam / 16)
print(f"{D:>6.1f} {R_FF:>10.1f} {dr_at_FF:>12.5f} {lam/16:>10.5f} {ratio:>12.4f}")
実行すると、$\Delta r / (\lambda/16) = 1.0000$ がすべての開口径で成立します。行路差の数式 $\Delta r = D^2/(8R)$ と $R_{\rm FF} = 2D^2/\lambda$ を代入すると $\Delta r = D^2/(8 \cdot 2D^2/\lambda) = \lambda/16$(代数的に一致)であり、数値が完全に一致することは理論の正確さの確認でもあります。
波動インピーダンスの距離依存性
import numpy as np
import matplotlib
matplotlib.use("Agg")
import matplotlib.pyplot as plt
lam_n = 1.0
k_n = 2*np.pi/lam_n
Z0 = 377.0
r_near = np.linspace(0.01, 5, 400)
# 電気双極子の近似: Z ≈ Z0 / (1 - j/(kr))
Z_near_abs = np.abs(Z0 / (1 - 1j/(k_n * r_near)))
print("r/λ: 0.05 0.1 0.16 0.5 1.0 2.0 (λ/(2π) ≈ 0.159λ)")
for r_frac in [0.05, 0.10, 0.159, 0.5, 1.0, 2.0]:
idx = np.argmin(abs(r_near - r_frac * lam_n))
print(f"r/λ={r_frac:.3f}: |Z| = {Z_near_abs[idx]:.1f} Ω (比: {Z_near_abs[idx]/Z0:.3f}×Z0)")
出力例:
r/λ=0.050: |Z| = 107.9 Ω (比: 0.286×Z0)
r/λ=0.100: |Z| = 197.0 Ω (比: 0.523×Z0)
r/λ=0.159: |Z| = 267.3 Ω (比: 0.709×Z0)
r/λ=0.500: |Z| = 359.1 Ω (比: 0.952×Z0)
r/λ=1.000: |Z| = 372.3 Ω (比: 0.988×Z0)
r/λ=2.000: |Z| = 375.8 Ω (比: 0.997×Z0)
この近似式(電気双極子の $Z \approx Z_0/(1 – j/(kr))$)では、$r = 0.05\lambda$ で $|Z| \approx 108\,\Omega$($0.29 \times Z_0$)と低い値になります。これは分母の虚部 $1/(kr) = 1/(2\pi \times 0.05) \approx 3.2$ が大きく効いて振幅を下げるためです。$r = 1\lambda$ 以上では $1\%$ 以内で $Z_0 = 377\,\Omega$ に収束しており、遠方界に入ったことが確認できます。近傍界での波動インピーダンスのずれは、プローブによる測定外乱の一因です。
まとめ
本記事では、アンテナの近傍界と遠方界について、フラウンホーファー距離の导出から実用設計まで解説しました。
- 3領域の区分: アンテナ周囲はリアクティブ近傍界(蓄積エネルギー支配)→放射近傍界(フレネル、パターンが距離依存)→遠方界(フラウンホーファー、パターン安定)と続く。境界式は $R_1 \approx 0.62\sqrt{D^3/\lambda}$(フレネル開始)と $R_{\rm FF} = 2D^2/\lambda$(フラウンホーファー開始)
- $R_{\rm FF}$ の導出: 開口端と中心の行路差 $\Delta r = D^2/(8R)$ が位相誤差の許容基準 $\lambda/16$ 以下になる条件から、代数的に $R \geq 2D^2/\lambda$ が導かれる
- 遠方界の3性質: $E \propto 1/r$(電力 $\propto 1/r^2$)・局所平面波近似・波動インピーダンス $377\,\Omega$ が相互に連関して成立する
- 実用への影響: 大型・高周波アンテナほど $R_{\rm FF}$ が大きく(数十〜数百メートル)、近傍界スキャン測定やCATRが必要になる。EMC測定の3m/10mも遠方界条件の考慮から決まっている
フラウンホーファー距離とフレネル・フラウンホーファーの区別は、アンテナ測定だけでなく、レーダーの分解能、光学系の焦点距離設計、ミリ波イメージングなど広い分野に登場します。基礎をしっかり押さえておくと、新しい系に出会ったときに素早く定性的な議論ができます。
次のステップとして、以下の記事も参考にしてください。